“最後の昭和生まれヒール”マサ北宮は新時代のマサ斎藤になれるか…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知
マサ斎藤さんスタイルを継承するマサ北宮(上はGHCヘビー級王者・清宮海斗)

 先週は「三沢光晴さんのGHCを輝かせられるか22歳の新王者・清宮海斗」というタイトルでコラムを書き、1日にプロレスリング・ノアの東京・後楽園ホール大会で行われた史上最年少GHCヘビー級王者・清宮海斗(22)とマサ北宮(30)との防衛戦を見届けたが、清宮のスター要素もさることながら、それを引き出した相手の北宮の敵役ぶりも、うならせるものがあった。

 ノア創設者・三沢光晴さん(2009年に46歳で死去)に憧れエメラルドグリーンのショートタイツ姿の清宮に対して、北宮はマサ斎藤さん(昨年7月14日に75歳で死去)に影響を受けたヒゲ面ヒール。日米でトップレスラーとして活躍した斎藤さんの葬儀・告別式で坂口征二、長州力、キラー・カーン、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋(敬称略)らレジェンドたちに交じって棺をかついだのがマサ北宮だった。

 桃山学院大ではレスリング部主将として活躍。卒業後に佐々木健介の健介オフィスに入門し11年9月に地元・富山大会でデビュー。健介オフィスのスーパーバイザーだったマサ斎藤さんから影響を受けた。健介オフィスの「DIAMOND RING」が活動休止となり、14年4月からノア所属に。16年4月11日に改名を発表し、日の丸と「JAPAN」の縫い取りがある黒のロングタイツを着用し、すねの部分が見える斎藤スタイル。これは、かつては谷津嘉章も踏襲したが、北宮は似合いすぎる。

 180センチ、98キロのスマートな清宮に対して、北宮は172センチ、103キロのブルファイター体形。新生ノアのスタートとなった1日の後楽園ホール大会は、華麗な若きエースと豪快なヒールという、対照的な個性のぶつかり合いに沸いた。北宮は徹底したヒザ攻撃で清宮をいたぶる。監獄固めが出た。斎藤さんが米国で収監中に編み出したとされるレッグロック。これも谷津が継承しているが、技をかけて肩をいからすパンプアップポーズは、斎藤さんのシルエットにそっくりだった。

 そして、ひねりを加えたバックドロップ。これは斎藤さんから長州力に伝承されたが、北宮はこの技を「サイトースープレックス」として使用している。試合はいたぶられまくった清宮が、エメラルドフロウジョンからタイガースープレックスホールドで逆転勝利を飾ったが、今はやりのノンストップアクションではなく、緩急を使い分けた見応えある攻防だった。特に北宮のいたぶり様と清宮の悶絶ぶりが絵になった。

 敗れた北宮はすぐに引き下がり、この日、左肩負傷から復帰戦を行った丸藤正道(39)が、清宮に挑戦を表明した。3月10日の横浜文化体育館大会でのタイトルマッチが決定。新エースとノアの顔をすぐに対戦させるという新生ノアの攻勢ぶりには感心させられたが、清宮と北宮の攻防を何度も見たいと思ったのも確かだ。“新・名勝負数え唄”として、地方巡業すれば受けるのではないだろうか。

 清宮が1996年7月17日生まれのバリバリ平成世代なのに対して、北宮は1988年10月27日生まれの昭和最後の世代(同学年は一部が平成生まれ)。北宮こそ、平成を超えた新しい時代に昭和のプロレスラー像を残してくれる存在になりそうだ。

 15日には、大阪市の城東KADO―YAがもよんホールで、マサ斎藤さんの追悼試合「MASA SAITO MEMORIAL~GO FOR BROKE!FOREVER!~《闘将・マサ斎藤追悼試合》」が開催される。北宮はノアのシリーズ中というスケジュールながら、兄弟子でGHCタッグ王座のベルトをともに巻いたことのある中嶋勝彦(30)と追悼式の参列者としてかけつけるという。

 師への忠誠心はハンパない。いや、斎藤さんは北宮の師匠ではなかった。北宮は改名会見でこんなセリフを残している。「僕はマサさんの弟子ではありません。というのも、マサさんは常々、自分は一匹狼だということを言っていて、なので弟子もいないし、俺には師匠もいないと」。追悼式巡礼を経て、マサ斎藤さんの「Go for broke、当たって砕けろの精神」は、北宮のものになるに違いない。(酒井 隆之)

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