「クレージー坊主」飯塚高史、無言の引退劇…ベテランレスラーが最後まで貫いたヒールの美学

スポーツ報知
21日の飯塚高史(左)の引退試合で、その狂乱を静めようと、涙を浮かべて説得した天山広吉

 「ヒール(悪役)の美学」に最後の最後まで徹し切った引退劇だった。

 新日本プロレスのベテランレスラー・飯塚高史(52)の引退試合が21日、格闘技の聖地、東京・後楽園ホールで行われた。

 1986年11月にデビュー。新日では闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、故・橋本真也)の2年後輩で鈴木みのるの2年先輩という現役最古参の一人だった。

 当初はイケメンレスラーとして、ベビーフェース(善玉)で売り出されたが、08年に突然、頭をスキンヘッドにしてヒールに転向。ラフファイト全開の悪役「クレージー坊主」として「ウォー」という、うなり声のみで一切の言葉を発しないキャラクターとしてリングに上がり続けた。そんな52歳は、この夜、メインイベントの6人タッグマッチに登場。「鈴木軍」の一員として、鈴木、タイチと組み、天山広吉、矢野通、オカダ・カズチカ組と対戦した。

 この日も満員札止め1726人の観衆の前に現れた飯塚は“いつも通り”だった。突然、客席通路に現れると、大声でうなり、両腕を振り回しながら、場内を徘徊(はいかい)。応援に訪れたアイドルグループ「ももいろクローバーZ」の4人の呼びかけも全く無視して、リングインした。

 ヒール転向直前まで「友情タッグ」を組んでいた天山の「飯塚! 目を覚ませ」という呼びかけも鼻から無視し、イス攻撃にかみつきと、ラフファイトを全開に。一方で全くぜい肉無し。鍛え抜かれた181センチ、107キロのボディーで、ヒール転向前の必殺技「魔性のスリーパー」に、ビクトルヒザ十字固めまで繰り出し、20代での旧ソ連でのサンボ修業仕込みの本来の実力を20分以上に渡って、見せつけた。

 最後は過去を振り切った天山が飯塚の巨体に友情Tシャツをかけた上で必殺のムーンサルト・プレスを炸裂させ、3カウント。リングに倒れ伏し、失神状態の、その体に覆いかぶさった天山が号泣も、再び起き上がった「クレージー坊主」は、さらなる大暴れを見せた。

 会場にあふれたのは、最後の最後に本来の真面目な素顔に戻ることを期待した「飯塚」コール。そのど真ん中で天山の号泣しながらの「飯塚!」という呼びかけに頭をかきむしりながら、苦悩。ついに震えながら握手した瞬間、大きな拍手が巻き起こった。

 この日が引退試合。ついに11年に渡って、かぶり続けたヒールの仮面を脱いで、「本当にありがとうございました」―。そんな言葉が聞けるのかと思った瞬間、いきなりガブリと天山の頭にかみついた飯塚。必殺の鉄製凶器「アイアンフィンガー・フロム・ヘル」まで取り出し、天山を殴打。冷酷にKOしてしまった。

 マイクを持ったタイチの「飯塚、本当に引退するのかよ。最後くらい自分の声でちゃんと答えろよ。コノヤロー」という声を震わせての呼びかけさえも無視し、再び客席を徘徊。「キャー」という女性の悲鳴と涙まじりの「飯塚」コールが交錯する中を「ウォー」と叫びながら退場。引退会見があるのかと後を追った取材陣すらも振り払って、汗まみれでバックステージに消えた。

 引退セレモニーも全く無し。最後は「鈴木軍」の総帥・鈴木がゴングを持ち出し、勝手に引退のテンカウントを鳴らす前代未聞の展開となった。飯塚退場後もほとんどの観客が会場に居残り、再登場を願う「飯塚」コールを送り続けたが、この日の主役がリングに戻ってくることはなかった。

 目の前数センチの距離でバックステージに消えていく飯塚を見守った私は一瞬、その目がうるんでいるようにも見えた。だから、「えっ、ファンに本当に一言も無し?」―。そう思わず口にしてしまった。

 最後の最後までノーコメントを貫いた引退試合を見たのは、全く初めてで心の底から驚いた。だが、よくよく考えてみると、この幕切れこそが、ヒールに徹し切ったプロフェッショナルらしいラストだったのではないか。徐々に、そう思えてきた。

 その最後を“見取った”形の天山がバックステージで発した「まだまだ行けると思う。これで終わってしまって残念やと思います。でも、彼の生き様、思う存分、見せてもらいました」という言葉こそ、レスラー生活33年の最大の勲章なのではないか。

 多くの選手が1月末日までの1年契約の新日では、この時期になると、契約更改をしない退団者が必ず生まれてきた。大ベテラン・飯塚の引退も、その一つに過ぎないのかも知れない。

 33年間、トップに立つことはなかった中堅レスラーの平凡な、ささやかな引退劇―。この夜の後楽園ホールで起こったことは、そんなプロレスの世界では良くある一幕なのかも知れない。

 だが、アントニオ猪木氏の残した負の遺産に苦しんだ90年代末の混乱期、さらに2000年代の暗黒時代。新日が苦境にあった時、常に鍛え抜かれた体のヒールとして、リングに上がり続けたのが、飯塚だった。

 だからこそ起こった、この夜の地鳴りのような「飯塚」コール。そして、天山が差し出した右手を飯塚が散々迷った末、体を震わせながら握り返した瞬間、私の中に流れた電流のようなもの―。

 全ては一夜の夢なのか。いや、最後の最後までヒールとしての信念を貫き、己の美学に殉じたベテランレスラーの“あっぱれな”幕引きを、私は多分、ずっと忘れない。(記者コラム・中村 健吾)

 ◆飯塚 高史(いいづか たかし) 1966年8月2日、北海道室蘭市生まれ。52歳。本名及び旧リングネームは飯塚孝之。1985年5月、新日本プロレス入門。86年11月2日、野上彰(現・AKIRA)戦でデビュー。89年、馳浩とグルジアでサンボ修行。エル・サムライ、野上との3人で「新世代闘魂トリオ」を結成し、スリーパーホールドを武器に活躍。08年、天山広吉との「友情タッグ」を結成。同年4月に真壁刀義、矢野通組が保持するIWGPタッグ王座に挑戦も試合中に天山を裏切り、ヒール転向。以降は頭をスキンヘッドにし「クレージー坊主」として無言を貫き、入場時には観客席を破壊する狂乱ぶりを披露。鉄製の凶器「アイアン・フィンガー・フロム・ヘル」を使用する悪役として活躍。テレビ朝日の野上慎平アナウンサーを試合のたびに襲撃することでも話題を呼んだ。

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