引退する獣神サンダー・ライガーと「佐野直喜」のライバル物語「彼に出会えたことが最大の幸運でした」

スポーツ報知
引退を発表したライガー

 新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが来年1月の東京ドーム大会での引退を表明した。

 引退を発表した会見で、最高の対戦相手を「佐野さんですね。あの人がいなかったら今の獣神サンダー・ライガーはないと言っても過言ではないぐらい存在感の大きな人でした。対戦相手で言えばやはり佐野直喜さんですね」と明かした。

 佐野は、1984年3月、新日本に入門した。甘いマスクと抜群のセンスでヤングライオン時代は、「藤波二世」と期待された。メキシコでの武者修業を経て凱旋帰国。ライガーが生まれた平成元年4月24日のプロレス界初の東京ドーム大会では、第1試合でヒロ斎藤を破り、ドームで初めて勝利したレスラーとなった。

 以後、佐野とライガーはIWGPジュニア王座を巡り名勝負を展開。佐野が90年5月にSWSへ移籍したため2人の戦いは、中断したが、95年10月9日、東京ドームでの「新日本対UWFインターナショナル全面対抗戦」で両者は一騎打ちし佐野が勝利した。

 ライガーは、新日本一筋でリングを生き抜いてきたが、佐野は、新日本からSWS、UWFインターナショナル、キングダム、高田道場、プロレスリング・ノア、そして現在はフリーと渡り歩いてきた。リングネームも名字の佐野は変わらないが名前は「直喜」、「友飛」、「なおき」、現在の「巧真(たくま)」と紆余曲折を経るなど、両者は、対照的なプロレス人生を辿った。

 佐野はライガーの引退に「彼は死ぬまでプロレスをやると思っていた。ケガをしない限りは、ずっと続けると思っていたので寂しい感じがします」と惜しんだ。「佐野さんがいなかったら今のライガーはない」との言葉を伝えると「ボクも彼と同じで、彼がいなかったら、ここまでプロレスを続けてこれなかったと思います。彼というライバルに出会えたことがプロレス人生で最大の幸運でした」と同じ言葉で思いを明かした。そして、「ありがとう。お疲れさまでした」と言葉を贈った。

 なぜ、両者は、お互いをリスペクトできるのか。佐野は、東京・野毛の新日本プロレス道場が原点だと明かす。

 「ボクは、彼を意識していたので、彼が見ていないところで練習をしていました。それは、彼も同じだったと思います。ボクが見ていないところで練習をしていました」

 ライバルを1ミリでも引き離そう。1日でも早くスポットライトを浴びてやる。そんな、激しい競争心が試合だけでなく道場で膨らんでいった。

 「スパーリングをやって、ギブアップしても、負けは認めないでそのままスパーリングを続けていました」

 ライガーは、会見で佐野を現在のリングネームの「巧真」ではなくジュニアのベルトを争っていた時代の「直喜」と表現した。その言葉に道場で切磋琢磨したあの頃を思い起こしているような響きがあった。ライガーは佐野を、佐野はライガーを、常に意識することで自らを鍛錬し、過酷な練習も耐え、2人の試合は名勝負になり、ファンに絶大な支持を受けた。しのぎを削った日々の積み重ねが互いのプロレス人生の原点。だからこそ、今、互いに「彼がいなければ今の自分はなかった」と感謝するのだろう。

 引退まで8か月。「プロレスを楽しみたい」とライガーは言った。全国を隅々までまわって、多くの人々に「ありがとう」の思いを伝えたいという。その中の1人に「佐野直喜」がいて欲しいと思う。(福留 崇広)

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