百田光雄、父・力道山のライバル・デストロイヤーさん悼む「4の字固めは、凄い技なんだなぁって」
スポーツ報知

“日本プロレス界の父”力道山の次男でプロレスラーの百田光雄(70)が8日、スポーツ報知の取材に応じ、7日に米国の自宅で88歳で死去した人気プロレスラー「ザ・デストロイヤー」ことリチャード・ベイヤーさんを悼んだ。
デストロイヤーさんは、1963年12月15日に39歳で急逝した力道山の最後の対戦相手だった。ラストマッチは12月6日の静岡・浜松市体育館での6人タッグだったが、百田は、その4日前の12月2日に父がデストロイヤーさんと最後のシングルマッチで戦った試合を会場で観戦した。「父がデストロイヤーに4の字固めを入れられて、反対に体を返すと相手にダメージを与えるという攻防になって、返って返されてというシーンで観客が総立ちになってワァー、ワァーっていう凄まじい歓声が起こったことを今も覚えています」と振り返った。
さらに試合後、父が赤坂の自宅に帰ってきた時の姿が忘れられないという。「当時、私は、父が寝る時に寝室で毎日、体をマッサージすることを言いつけられていました。あの試合の後に足をマッサージした時に、父のスネがアザになってボコッとへこんでいたんですね。その時、父が“ここがデストロイヤーに4の字をかけられた痕だ”って教えられたんです。それを見て4の字固めは、凄い技なんだなぁって目の当たりにしました」と明かした。
百田は、1970年11月に日本プロレスでデビューし、72年10月にジャイアント馬場さんが設立した全日本プロレスに入団した。全日本では、デストロイヤーさんとタッグを組んだこともあった。日本のファンに絶大な人気を集めた理由を「今までの外国人にはなかったスピーディーで軽快な動きと根性があった。そこが日本のファンに受け入れられたんでしょう」と偲んでいた。