デストロイヤーさんが最後まで覆面を脱がなかった理由とは?…プロ魂と隠された素顔

力道山、ジャイアント馬場と名勝負を展開しプロレス界で絶大な人気を誇った“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーことリチャード・ベイヤーさんが7日に米国の自宅で88歳で死去した。
生前、ファンはもちろん、マスコミの前でも覆面を絶対に脱ぐことはなかったデストロイヤーさん。素顔が公に一切、知られることなく生を全うした著名人は、極めて稀だろう。マスクをかぶり続けたプロ魂は、控室でも徹底していたという。
全日本プロレス時代に対戦したザ・グレート・カブキの米良明久氏(70)によると、「控室でも誰が入ってくるか、分からなかったから絶対に脱ぐことはありませんでした。マスクを取ったのは、試合後のシャワールームぐらいでしたね」と振り返った。
1993年7月の引退試合で対戦した全日本プロレスの渕正信(65)も「地方巡業で外出する時もマスクを脱ぐことはありませんでした。その辺りのプロ魂は徹底してました」と証言。公の場で、その素顔を目撃した記憶はないという。
百田光雄(70)は父の力道山の生前最後の相手がデストロイヤーさんだった。素顔を絶対に見せなかった理由を「素顔は、本当に普通のおじさんなんです。マスクをかぶっていないと、誰もデストロイヤーって分からないじゃないですか。外出する時もマスクをかぶっていたのは、常に自分がデストロイヤーであることをアピールするためということもあったと思います」と指摘した。
全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(64)は、百田が証言したマスクをかぶることで起きた具体的な効果を明かしてくれた。
それは、全日本プロレスにレギュラー参戦していた当時のこと。東京・麹町の一軒家から麻布のマンションへ移り住んでいたデストロイヤーさん。愛車はホンダのシビックだった。「運転する時もマスクをかぶってハンドルを握ってました。ある時、デストロイヤーの運転でボクが助手席に乗って首都高速の料金所を通る時に、窓ガラスを開けて、料金所のおじさんに『ハイ、デストロイヤーです』って言うと、おじさんも“はい、どうぞ”って、そのまま素通りしたことがありました(笑い)」。地方へ行くとマスクをかぶって食事に出掛けると、感激した店の主人がご馳走してくれたことも数多くあったという。いずれもいかに日本でデストロイヤーさんが愛されたかをうかがい知ることができるエピソードだろう。
マスクをかぶり続けた理由は、プロレスラーとしての幻想を守るプロ魂ともうひとつ、そんな茶目っ気ある素顔の秘話に隠されていた。(記者コラム・福留 崇広)