馬場、猪木、ブラッシー、マスカラス、ブッチャー…デストロイヤーさん名勝負の数々

スポーツ報知
67年、ジャイアント馬場(右)と死闘を繰り広げた

 「白覆面の魔王」の異名で力道山やジャイアント馬場らと死闘を繰り広げたプロレスラーのザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で死去した。88歳だった。関係者によれば死因は老衰という。1963年に初訪日し、得意技の「足4の字固め」で力道山を苦しめるなど空前のプロレスブームを巻き起こした。2017年秋の叙勲で旭日双光章を受章した親日家は、生前「日本にもう一度行きたい」と話していた。

 デストロイヤーさんは、高度経済成長期の日本で広く親しまれる娯楽だったプロレスのスター選手だった。当時の外国人レスラーは悪役が多く、デストロイヤーさんも当初は力道山と血まみれの死闘(通算1勝1敗2分け)を演じた。しかし、次第にファンの心をつかみ、ジャイアント馬場さんの右腕として善玉に転じて歓声を浴びた。

 母校・米シラキュース大ではアメリカンフットボールに打ち込み、教員資格も取っていたが、1954年にプロレス界入り。キャリアを重ね、62年7月に“吸血鬼”ことWWA世界ヘビー級王者フレッド・ブラッシーを破り、覆面レスラー初の世界王者となった。

 68年には黒覆面の「ドクターX」を名乗り、“仮面貴族”ミル・マスカラス、ビル・ロビンソンら人気外国人選手と名勝負を繰り広げた。アントニオ猪木とも戦い、通算1勝1敗2分け。73年から約6年、全日本プロレス所属になり、馬場さんやアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦する一方、ジャンボ鶴田ら若手も指導した。

 93年に現役引退。引退試合では馬場、レスラーとなった息子のカートさんと組んだ。退場時には70年代のテレビ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!」で共演した歌手・和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を流してリングを下りた。

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