元ヤクルトの松谷秀幸、競輪でつかんだ1軍レギュラー

スポーツ報知
バンクでトレーニングに励む松谷。神奈川を代表する選手だ

 1日、プロ野球12球団のキャンプが一斉に始まった。プロ野球選手の正月は2月1日だと聞いたことがある。ドラフト1位で入団し、脚光を浴びる人間がいる反面、多くは2軍のまま現役を終える。2000年ドラフト3位でヤクルトに指名され入団した松谷秀幸(36)もその一人だ。将来を期待されたMAX149キロ右腕は、1軍登板がないまま06年にユニホームを脱ぎ、競輪選手に転身。現在は野球でいえば1軍のレギュラークラスとされるS級1班で脚光を浴びている。(永井 順一郎)

 今でも2月1日は特別な日だ。競輪選手になって9年。デビュー当時から変わらない丸刈りの松谷は「世間では1月1日から新しい年がスタートする。でも僕は違う。競輪の世界に足を踏み入れても、2月1日が新しい年の始まりなんです。元プロ野球選手は皆、そう思っていると思います」。体に染みついたプロ野球選手としての生活が、今も抜けきらないでいる。

 大阪生まれだが、縁あって沖縄・興南高に進学。甲子園出場はならず中央球界では無名も、140キロ台後半のストレートは早くから注目されていた。2000年のドラフト。ヤクルトから3位で指名され、契約金6000万円(推定)で入団。高校生、それも3位で6000万円は、期待の高さの表れだった。

 夢と希望に胸を膨らませたルーキーイヤーは、宮崎・西都の2軍キャンプからスタート。「練習はそれほどきつくなかったですね(笑い)。高校時代の方がきつかったくらいです。毎日、すごく充実していて楽しく過ごしていたと思います」。ある時、1軍からお呼びがかかった。ブルペンに入ると受けるのは古田敦也。「もう緊張ですね。古田さんが僕の球を受けてくれるんですから。思い切り投げましたよ。そうしたら古田さんが『いいねぇ』って褒めてくれたんです。最高の瞬間でした」

 1年目から2軍で10試合以上に登板。「上では投げられませんでしたが、手応えというか、やっていける自信がつきました」。2年目こそは1軍と自らを奮い立たせたが、当時の小谷正勝2軍投手コーチから「お前は3年計画だから」と言われ、この年も2軍で汗を流した。

 しかしシーズン後半、右ひじに違和感を覚えた。今までに経験したことのない痛み。「右ひじ内側側副靱帯(じんたい)損傷」。引退の2文字が頭をよぎるなか、中日の松坂大輔や米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平も受けた「トミー・ジョン手術」(側副靱帯再建術)を群馬県内の病院で受けた。「当時、国内の病院では症例も少なくて、治るまでには2年といわれました。2年、もうダメかと本当に思いました」

 03、04年はリハビリに専念。陸上の長距離選手かというほど走り込んだ。走り込んだというより、走ることしかできなかった。ただただ、1軍のマウンドで力投する自分の姿を思い浮かべて…。が試練は続き、この後2度、右ひじにメスを入れる羽目になり06年オフ、戦力外通告。6年間で3度の手術。脚光を浴びることなくユニホームを脱いだ。

 プロ野球選手から競輪に転向した選手は何人かいるが、成功した人間は少ない。それはプライドというものを、どうしても捨てきれないからだ。野球がダメだったから競輪へ。その考えは通用しない。最近も、ドラフトで1位指名が重複した選手が競輪学校を受験したが、2年続けて不合格になった。松谷が成功したのは覚悟があったからだ。競輪選手になると決めた時、乗っていた高級外車・ベンツを手放した。住まいも夫人の実家に居候。裸一貫とはベタすぎるが、後戻りできない現実があったからこそだ。

 今、松谷は輝いている。「プロ野球では結果を残せなかったけど、競輪に転向して本当に良かった。練習は苦しいし、けがも多い。でもすごく充実しています。ファンは僕に、命の次に大事なお金を賭けてくれる。背負うものが違います」。練習はハードだ。ある朝、指導してくれる選手が「今から富士山ね。富士山は日本一。俺らも日本一を目指すだんから、富士山に行く」と至って明快な説明のもと、自転車でロードワーク。拠点の横浜から富士山まで片道約100キロ。これが幾度となくあった。それも事前通告はなし。最初は戸惑ったが「ああ、これが競輪の世界なんだと」納得した。

 1月中旬の競走で落車。左手小指の第1関節から上が、もげそうになった。何とか欠落は免れたが、爪は二度と生えてこないそうだ。「勝負の世界に生きる者として、けがは仕方ない」と現在は休養中。復帰は8日から開催される、ビッグレースG1「読売新聞社杯・全日本選抜競輪」(大分・別府競輪場)。「復帰戦が2月というのも何かを感じますね。僕にとっての新年スタートですから。同期の畠山(和洋)も頑張っているし、負けられません」

 ◆野球でS級1班は1軍のレギュラークラス
 競輪選手はおよそ2300人(女子を含む)。ランクは最上位が9人のS級S班。次いでS級1班、2班、A級1班、2班、3班となる。野球に例えるなら、S級S班はスーパースター。S級1班は1軍のレギュラークラス。2班は1軍にはいるものの、レギュラーではなく、2軍との入れ替えもある。A級1、2班は2軍。3班は育成選手といったところ。昨年の賞金王は2億5531万3000円を稼いだ、奈良の三谷竜生(31)。

 ◆松谷 秀幸(まつたに・ひでゆき)1982年10月16日、大阪市生まれ。36歳。興南高卒業後、2000年ドラフト3位でプロ野球のヤクルトに入団。06年に引退し、第96期生として競輪学校に入学。在校17位の成績で卒業。09年7月(松戸〈1〉〈1〉《6》)デビュー。10年2月の川崎で初優勝を飾る。G3は2V。通算734戦194勝。通算獲得賞金は1億8917万200円。181センチ、87キロ。血液型O。

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