【巨人】杉内、村田修一の節目で思い出す20年前の夏祭り…高校時代から親友

スポーツ報知
98年8月、アジアAAA日本代表の団結式で記念撮影に収まる(左から)沖縄水産・新垣、東福岡・村田、明徳義塾・寺本、横浜・松坂、関大一・久保、鹿児島実・杉内、PL学園・上重

 ルートイン独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブス(BC栃木)からNPB復帰を目指してきた、前巨人の村田修一内野手(37)が1日、栃木・小山市内のホテルで自身の去就についての記者会見を開いた。7月31日の移籍期限までにオファーが届かず、NPB復帰を断念した。村田の会見を受け同日、親交のある“村田世代”の仲間がコメントを寄せた。

 巨人の杉内俊哉投手(37)が村田への思いを語った。杉内は親友の決断を尊重し、高校時代を思い返した。

 「残念ですね。まだボロボロじゃない。巨人で一緒にプレーしたことももちろん思い出として残っていますが、高校3年の夏の甲子園が終わった後、2人で祭りに行ったことは思い出ですね」

 ともに福岡出身、高3夏には甲子園に出場した。杉内は鹿児島実でノーヒットノーラン、村田は東福岡で投手として注目を浴びた。その後、AAA日本代表でともにプレー。大会後、杉内が福岡に帰省した際に村田に「一緒にうちの地元の祭りに行こう」と連絡。同じ福岡県内でも互いの実家は離れていたが、村田が駆けつけて2人で屋台を回った。

 プロ入り後は08年北京五輪、09年WBCでともに日の丸を背負った。12年からは巨人でチームメートになり「守備はうまいし送球エラーはほぼなかった。けがに強かった」。現在、杉内は左肩痛からの復帰を目指してG球場でリハビリ中。この日は70メートルのキャッチボールなどを行った。親友の分まで不屈の精神で前に進んでいく。

 ◆巨人・山口鉄「公私ともにかわいがってもらって、すごく頼れる方でした。ピンチの時にかけてもらった一言がすごく心強かったです。『あまり思い詰めんなよ』とか言ってくれて何度も助けられました」

 ◆巨人・内海「残念です。すごく優しくて頼れる兄貴的な存在。何回もバットで守備で助けてもらいました。修さんの気持ちがまだあって12球団で、もし手を差し伸べてくれる球団があるなら(現役を)あきらめてほしくない気持ちはあります」

 ◆巨人・阿部「(引退という)2文字は使わないって言った気持ちは察するし、(今後は)彼が決めること。俺らがどうこう言うことではない」

 ◆巨人・坂本勇「まだまだNPBでプレーできる人。一緒にプレーさせてもらって、学ぶこともたくさんありましたし、修さんの人間性が大好きなので。一緒に三遊間を組んで一番近くで守ってきましたし、優勝した時も『優勝っていいな』って言っていたのが今でも印象に残っています」

 ◆DeNA・筒香「(横浜)高校の時から横浜スタジアムに見に来てずっと憧れの選手。プロで一緒にできて人間的にも、技術的な細かいことも全て学びました。村田さんは引退という言葉を使っていないということなので。僕は決められないのでやってほしいとは言えないけど、村田さんの姿をまだ見てみたいというのはあります」

 ◆楽天・藤田(05~11年に横浜でチームメート)「僕もそういう年だし、受け止めてプレーしないといけない。村田さんに負けないように頑張ります」

 ◆オリックス・小谷野「僕らの世代の野手では間違いなくトップ。2000安打が見えたのは修(村田)しかいない。人間性も素晴らしい。さみしいと言いますか、悔しいですね」

 ◆楽天・久保(02年の大学日本代表、12~15年は巨人でチームメート)「あきらめずに違う場所で復帰目指して頑張る姿は励みにもなっていたので残念。できたらまた一緒にプレーしたかった」

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