【巨人】杉内引退「何とか諦めずに」復帰目指すも 松坂世代の村田と共にユニホーム脱ぐ

スポーツ報知
背番号18を背負い勝利を重ねた杉内。今季限りでの引退を表明した

 巨人の杉内俊哉投手(37)が今季限りで現役を引退することが11日、分かった。2015年に受けた右股関節手術からの復帰を目指していたが、その後も左肩痛や内転筋痛に泣かされた。3年間、1軍でプレーすることができなかったため決断した。12年にソフトバンクからFA移籍し、背番号18をつけて、同年からのリーグ3連覇に貢献した。村田修一(37、BC栃木)、後藤武敏(38、DeNA)に続いて「松坂世代」がまた一人、ユニホームを脱ぐ。

 球界に前例のない右股関節形成手術から約3年。杉内は、チームの戦力になるため懸命にリハビリを続けたが、その願いは届かなかった。15年オフには年俸5億円から過去最大の4億5000万円減を自ら志願。昨年はオープン戦や2軍戦に登板するまでに状態が上がったが、股関節をかばったツケが左肩痛などを引き起こした。1軍登板は15年7月21日の阪神戦(甲子園)が最後となった。

 「今年1年、ダメだったら(引退する)という気持ちがあった。現状では投げられないから。3年も球団には待ってもらいましたから、もう迷惑はかけられません」

 右股関節をかばい、左肩を痛め、今年のキャンプはリハビリ組の3軍スタート。日ごとにキャッチボールの距離は延びたが、その後は一進一退。8月にはブルペン入りが視野に入るほど回復したが、今度は内転筋を痛めた。

 「けがさえ治ればって、2ケタとは言わないけど、それに近い勝ち星を挙げられるって、思っていた。何とか諦めずにやっていこうと思ったけど…。残念です」

 心の支えになっていたのは、同じタイミングで巨人に加入した同い年、同郷(福岡)の村田修一の存在だった。その村田の今季中のNPB復帰が期限の7月31日にかなわなかったあたりから、杉内も引き際を考え始めていた。

 9日に行われた村田の引退試合に駆けつけることができなかったため、その3日前に日本ハムの実松、矢野ら“同級生”らとともに栃木へ出向いて激励。そこで引退することを伝え、互いの功績をねぎらい、気持ちの整理をつけた。

 12年5月30日の楽天戦(東京D)ではノーヒットノーランを達成。鹿児島実時代、3年夏に出場した甲子園でも大記録を達成している。プロと甲子園大会両方で達成した選手は杉内しかいない。ホークス時代の05年には沢村賞を獲得。日本代表には10度選出された。これは24度の杉浦正則(同大、日本生命)、12度の上原浩治(大体大、巨人)に次ぐ数字だ(50年以降)。WBCで2度(06、09年)の世界一に貢献するなど数々の金字塔を打ち立てた。最後の3年間、杉内の“時計”は止まったままだったが、功績は色あせることはない。

 近日中にも引退会見が開かれる予定。球団側は敬意を表し、コーチなどのポストを用意する見込みとなっている。

 ◆杉内 俊哉(すぎうち・としや)1980年10月30日、福岡県生まれ。37歳。鹿児島実では2年連続で甲子園に出場し、3年夏の1回戦、青森・八戸工大一戦でノーヒットノーラン。三菱重工長崎を経て、01年ドラフト3巡目でダイエー(現ソフトバンク)入団。05年に最多勝、最優秀防御率、MVPに加え、パ・リーグ左腕では初の沢村賞受賞。08、09、12年に最多奪三振。11年オフ、ソフトバンクから巨人にFA移籍した。175センチ、82キロ。左投左打。

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