【巨人】「杉内は戦力となって感謝を伝えたかった」元担当記者が見た

スポーツ報知
15年阪神戦に先発した杉内。これが1軍最後の登板となった

 巨人の杉内俊哉投手(37)が今季限りで現役を引退することが11日、分かった。2015年に受けた右股関節手術からの復帰を目指していたが、その後も左肩痛や内転筋痛に泣かされた。3年間、1軍でプレーすることができなかったため決断した。12年にソフトバンクからFA移籍し、背番号18をつけて、同年からのリーグ3連覇に貢献した。

 「復活」とは何か―。リハビリを続ける杉内とそんな話になったことがある。

 最後の登板となった15年7月21日の阪神戦(6回途中2失点)。右股関節に体重が乗らず、伝家の宝刀スライダーのキレは失われていた。その2日後に登録抹消。手術を決めた。

 杉内の受けた手術は野球選手には前例がなく、普段の生活も脅かす危険があるものだった。それでもメスを入れることを望んだ。

 術後。しばらく、立つこともできなかった。車いす生活に「本当に野球ができるのだろうか」と絶望感が襲った。それでも手術を許可してくれた球団のため、サポートしてくれる家族、トレーナー、ファンのため、イスから立ち上がった。

 16年にイースタン戦で復帰した姿を見たときはうれしかった。野球を奪われるかもしれない大手術をした男がマウンドに立っているのだから。球速も140キロ台に回復。年内の1軍登板を信じてやまなかった。「杉内が復活した」。そう思った。

 しかし、それはかなわなかった。スライダーのキレが戻らなければ、直球の球速が上がっても打たれてしまう。「これでは1軍では戦えない」。杉内はそう漏らした。

 杉内が指す「復活」は投げられるようになることではない。1軍のローテに入り、戦力となること。そして、復活を信じ、懸命に治療してくれた球団トレーナーの方々に感謝の気持ちを伝えることだった。

 復活の定義を考えさせられた3年だった。球史にいくつもの大記録を刻んだ杉内だが、私はこの苦悩との闘いも記憶に残していきたい。(11~13、15年巨人担当・楢崎 豊)

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