【巨人】杉内、涙の引退会見「心から後輩を応援するようになった。勝負師として違う」

巨人の杉内俊哉投手(37)が12日、都内のホテルで会見し、現役引退を表明した。2015年に受けた右股関節手術からの復帰を目指していたが、その後も左肩痛などに悩まされ、3年間1軍登板なし。リハビリ生活を続けていたが「心から後輩を応援するようになった。勝負師として違うかなというふうに感じた」と、涙を流し決断を振り返った。
杉内の頬に、一筋の涙が伝った。ホークスの10年、巨人の7年。沢村賞、WBC日本代表、球界に前例のない右股関節形成手術。3年間のリハビリ生活。数々思い出が一気によみがえり、言葉に詰まった。
ユニホームを脱ぐ決断は勝負への執着が薄れたことを感じたからだった。
「ここ3年間、全く野球はしてない。正直、潮時かなと思った。本来の目的はマウンドで投げ、あの試合の緊張感の中で勝った、負けたと(白黒つけると)いうことだった。若い選手と過ごす時間が増え、心から後輩を応援するようになっていた。勝負師として違うかなと感じました」
自身はリハビリ生活が続き、昨年5月の2軍戦で投げて以来、ブルペンにも入れなかった。そんな中、高卒2年目の大江、高田ら若手が力を伸ばしている姿を見て、これまでにない感情が芽生えた。
「すげぇ球投げるなとか。“野球好きのおじさん”が見ている感じだった」
今年は投げることができなかったら引退すると、家族には伝えて始まった勝負の年。だが左肩痛と内転筋痛に悩まされた。一度、6月には引退する意思を伝えようかと思ったが、一進一退を繰り返す中で「また投げられるかもしれない」と決意が揺らいだ。結局、引退の意思を球団に伝えたのは約2週間前だった。
支えとなった村田、後藤ら「松坂世代」が今季限りで引退。ずっと背中を追いかけていた松坂と対戦し、勝つことも一つのモチベーションだった。
「結局、松坂に勝つことなく、僕が先に引退をしてしまったので心残りではある。これからは応援する側なので、彼が1年でも長くできるように応援したい」
会見後は選手代表として内海がサプライズで登場。12年からリーグ3連覇を支えた後輩左腕の姿に号泣し、熱い抱擁を交わした。
今後のことを聞かれ「バイクの免許を取りたい」と報道陣を笑わせた。
野球は「体の一部」だという左腕。後輩からアドバイスを求められるといつも真剣に向き合った。今後については未定。「まだ分からないですね」と答えたが、再びユニホームをまとい、チームに戻ってくるはずだ。その時をきっと誰もが願っている。(玉寄 穂波)
★杉内に聞く
―この日を迎えた率直な気持ちはどのようなものか。
「この3年間はリハビリが続いていたので、球場に行ってもどこか心苦しいところがあった。みんなと同じような練習ができていなかったので、引退を決意してすっきりしたのかな」
―報告した相手は。
「ソフトバンクの王球団会長と巨人・原前監督。他にもたくさんいました」
―王会長からは?
「『よく頑張った。今度福岡に帰ったら、ご飯食べに行こう』と言われたのはうれしかったですし、報われた感じはしました」
―原前監督は?
「僕のスライダーはすごく印象的で、あんなに曲がるキレのあるスライダーは見たことがないと話されていました」
―影響を受けた人は?
「僕の中では斉藤和巳さん。絶対的エースですし、あの人にはかなわないと思っていた。勝利数ぐらいでは僕は倍ぐらい勝ってますけど(笑い)。本当に負けない投手だった」
―背番号18は重かった?
「本来なら、もっと成績を残さないといけなかったかもしれません。今、思うと重かったのかな、と。7年間、背番号18のユニホームを着られたことは幸せでした」