V9戦士・国松彰氏が提言 常勝巨人の再建

スポーツ報知
王貞治氏の看板と同じポーズをとる元巨人の国松彰氏

 ONの脇を固める強肩巧打者として活躍、名参謀としても巨人黄金期のV9を支えた国松彰さん(84)。巨人一筋39年、球界引退後は「ナボナはお菓子のホームラン王です」のフレーズで有名な創業80周年の老舗菓子店・亀屋万年堂(東京・自由が丘)の副社長、社長を歴任、現在も会長を務める。実業家に転身するきっかけとなった夫人との出会い、健康と長寿の秘訣、巨人への思い、古巣再建への提言など、語り尽くした。(取材・佐々木 良機)

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 背筋をピーンと伸ばし、階段の上り下りも難なく、滑舌もいい。84歳の国松さんはお元気そのものだ。

 「背中丸くしないように、いつも背筋を伸ばして、できるだけ速足で歩くように意識してますよ。よく歩きます。ジム行ったりもして。僕はタバコも吸うし、お酒も飲む。今でも。何でもするの。お酒はでも、弱くなった。缶ビール飲んでワインを軽く2杯ぐらい」

 巨人一筋39年。1988年に王監督のもとでのヘッドコーチを最後にユニホームを脱ぎ、95年に老舗菓子店・亀屋万年堂の副社長に61歳で就任。2002年に社長、77歳となった11年に会長となり、現在。実業家としてはまだ現役だ。

 今も毎日、会社には。

 「いやいや、毎日じゃない。前はそうだったけど、今は週に3、4回。この年だから、あまり老害にならないように気をつけながら、気がついたことを会議で時々言う程度。社長の時までは現場に出たりとかしていましたけどね」

 球界引退後、経営者となった国松さん。会社への功績は絶大だ。ふわっふわのソフトカステラにクリームを挟んだ洋風菓子ナボナのCMキャラクターに67年から世界の王を起用する際、仲介役を務め、商品名と社名は全国区となった。

 「だから王には足を向けて寝られない。創業者がね、女房のお父さんですけど、ナボナを出す時に思い切ってCMやろうって。目利きっていうのかな。王さんにCM出てくれないかって話になって、言ったらいいですよと。ナボナも美味しいし、お菓子のホームラン王ってフレーズもフィットして売り上げバーンと」

 10店舗ちょっとのお店が60店舗以上に拡大し、総売上高も5億円弱から50億円近くまで伸びた。ホームラン王の効果はすごかった。

 会社と王さんを国松さんが結びつけたが、会社と国松さんとの接点は奥様。出会いは半世紀前に遡る。

 「30近くなってチームのなかで独身が僕1人だけになったの。いよいよ身を固めないとな、と焦りもあった。そんな時、大学の同期が(話を)持ってきてね」

 いわばお見合いだった。

 「昔は今と違ってプロ野球選手だからってモテなかったですよ。ファンっていうのは男性が多かったし、女性が今みたいに選手を追っかけたり、そういうのはあまりなかった。僕は背が高いから(相手の女性は)あまり大きくなく、目が悪いから目がいい子。顔も長いから丸顔がええって。3つの条件を出して行ったら、あ、この子と縁があったら結婚してもいいな。そう思ったんですよ」

 その直感と人生の選択があって今がある。

 「そうですね、ええ。でも、女房も1人娘だからわがままですけどね。背も大きくないから(夫婦)デコボコ。ダンスしたら足が浮いてます」

 なんて言いながら、かつての鬼軍曹は優しく照れ笑い。

 王さんより6歳年上。現役時代から意気投合し、気心知れる仲は、今でも。

 「彼が入団して2軍にいる時、僕も2軍にいて、同じ部屋で寝泊まりして。まー、彼は寝相悪くてね。6畳の狭いところに寝てんのに、朝起きたら僕の体を乗り越えて反対側。何となしにフィーリングも合ったんでしょうね。今度もゴルフ、一緒にやりますよ。ゴルフくらいカートがあれば、どうってことない。もう90切るの、精一杯だけど」

 王さんとは定期的にカラオケも行くとか。

 「ええ、行きますよ。僕は歌わないから彼がね。軽く飲んでから行こうよって。行ったら1人で歌ってる。あんまり長いから、俺、先に帰るって(笑い)。昔は歌わなかったのに、歌い出したら止まらないんだから」

 元気。健康。秘訣は。

 「忘れることやね。何でもかんでも、いつまでも頭のなかで覚えていると、いっぱいになっちゃうじゃない、頭の中が。いいことも悪いことも忘れちゃって、過去を振り返らない。持って生まれた性格なのかな」

 巨人の負けも、では、すぐに忘れられる?

 「ハハハ。もちろん忘れるようにしている。ただね。見ていて一番感じるのは、監督、水原さん、川上さん、長嶋、王がやって、藤田さんも。やっぱり厳しさがすごいあった。俺はこういう監督で、こういうチームにして、こう戦うっていうのを明確にして、従わなかったら絶対許さないと。絶対妥協しなかった。で、チームに浸透していたから監督が言う前に選手同士が怒った。何やってんだと」

 こんなことがあった。

 「僕が右翼を守っていた時、同点の試合で終盤、相手打者が一、二塁間の安打を打ったんですよ。2死で。僕、一生懸命走って行って前進して、捕ってバックホームして。肩強いから本塁にワンバンドで投げたら1点取られないで済むって。それが、球がちょっと反れるかなんかしてセーフになっちゃった。リード取られちゃった。後楽園(球場)だったんだけど、ほんと、ベンチに帰るのがイヤでね。選手の眼が。何やってんだ、お前っ、こんな競っている時に半端なことしやがってって、その眼がイヤでね。僕、打順、次回ってこないから、右翼にブルペンあったから、そこに座ってたの。それぐらいね、監督、コーチは一生懸命やったプレーには言わないけれど、選手の眼が怖いから。それくらい選手同士、切磋琢磨して、お互いライバル意識を持っとったね。そういう体質だった」

 それが常勝軍団の素顔だった。

 「勝つためにって一体になっている体質は、あの当時はすごかった。そういうふうにしつけたのは、川上さん、藤田さん。藤田さんなんか、普通は静かーにしているけど、一塁まで一生懸命走らなかったりすると、ベンチのなかでもーのすごい怒った、帰れーって言って。本当に帰らすぐらいだった。そういうメリハリがはっきりしていた」

 今では考えられない練習もしていた。

 「広島から移動するでしょ。当時は新幹線じゃなくて夜行列車。広島の暑い時にナイターやって、急いで着替えて、急いで食べて、夜行に乗る。朝10時に着いたら、多摩川(巨人軍グラウンド)で練習だったですからね。どこのチームもそんなことやらない。そんな非効率的なこと。それぐらい徹底してやらないといけないって、やったんだろうね。選手はぶーぶー言ってた。広岡さんなんか、インテリだから。広岡、森、国松が先頭に立って文句言ってた(笑い)。で、練習したって、そんな長いこと、やらない。打者ならそれこそ10本も打たないぐらい。でも、そこまでやるときは何でも徹底してやるっていうのが川上さんだった。ここまでみんながやらないことを、他のチームがやらないことを、我々は徹底してやっているんだから負けるはずがない、という思いを、体の芯までしみ込ませて、教え込まそうとしたんだろうね」

 国松さんも現役引退後、コーチとなり、2軍監督を務め、指導者の道を歩んだ。その頃に、忘れられない選手が2人。名前を挙げた。

 「川相と西本。僕が2軍の時、入ってきた。テストで。これはどうみても1軍に行けないなって思ったの。それが行くようになって。ものすごい努力で。王に匹敵するぐらい努力した。川相は体が小さいし、投手で入ってきたけれどダメだからすぐに内野に。肩は強かったから。身体は細いし、小さいし、バッティングしたら長打は期待できない。西本はブルペンで投げさせたら捕手が嫌がるくらいコントロールが悪かった。ショートバウンドならいいけれど、ハーフバウンドみたいに投げてくると捕りづらいんですよ。それぐらい悪かった。それが針の穴を通すようなコントロールを身につけて」

 何が彼らを変えたのか。

 「目的意識と、根気と、継続した努力。西本はプロに入って一番最初にブルペンで投げた時、定岡と一緒だった。定岡なんかベースの周りにぴゅんぴゅんといく。甲子園で優勝するぐらいだから。西本はだから、これは絶対コントロールをつけなきゃいけないって。ボールを24時間、握っているようになった。あと、キャッチボールの時から目的を持って投げるようになった。コントロール付けて投げる。セットポジションでもキャッチボールする。クイックで投げる。そういう意識をずっと持って。ブルペンに入っても捕手の右ひざのところに何球、何球と、できるまで投げる。もうやめろ、後ろがつっかえているからと、よく投手コーチに言われていた。そういう目的意識はすごかった」

 川相もそうだった。

 「特守って、ノックを1時間ぐらいやるじゃない。普通だったらもうヘトヘトになっちゃって、もう終わりって、選手はバタンって倒れる。川相の場合はもう1本、もう1本、もう1本、ですよ。もうやめておけって、ノックしているコーチが勘弁してくれと。それでも、もう1本お願いします、もう1本お願いしますって。そういうところがあった。ただ時間をかけて一生懸命やるのと違って、自分の欠点と長所を見て、どれを直さないといけない、それをコーチに言って自分も知って、両方でやっていた」

 V9を知り、支えた国松さんに、今の巨人はどう見えているのだろうか。

 「ほとんど(試合を)見ない。疲れるのね。もう少しこうすりゃいいのにとか、余計なこと考えちゃう。見ているとついつい。横で女房が、まーた、あなた、黙ってみなさいよ、コーチがあなたじゃないんだからって。横にうるさいの、いるから(笑い)」

 巨人の話は尽きない。再建を目指すチームにはヒントになるような話ばかり。

 「選手の時、故障して、試合に出られなくてスタンドで見たことがある。そうしたら、熱気が、本当に野球が好き、巨人が好きっていうのがすごくて。ベンチにいると分からない。あ、こんだけ勝ってほしい、勝つと喜ぶんだ、と。一生懸命やらないかんと改めて思った。選手が故障したら、スタンドで一度は見させた方がいいと思う、本当に」

 語り継ぐべき話は多い。でも、国松さんは言う。

 「ろくでもない話。過去だし、僕らは。川上さんのしつけとか、長嶋、王の考えとか行動とか、努力の一端とか、話をしても古いから、そんな話は。そういう時代になっちゃったから」

 取材後の帰り際。「売るほどあるから」と自慢のナボナを山ほど持たせてくれた。常勝巨人の歴史を作った勝負師は、好好爺の表情でいつまでも見送ってくれた。

 ◆国松 彰(くにまつ・あきら) 1934年9月14日、京都市出身。84歳。西京高から同志社大に進学、55年に投手で巨人入団。3年目の57年に外野手転向。70年現役引退後、川上、長嶋両監督の下で1軍打撃コーチを7年、藤田、王も含め4監督の下で2軍監督を7年、86年から3年間、王監督をヘッドコーチで支えた。球宴出場2回。通算成績は10登板、0勝1敗、防御率5・40。通算1378試合、979安打、93本塁打、427打点。左投左打。

 ◆「懐かしのホームラン王バージョン」発売中

 ナボナ発売55周年の限定記念缶「懐かしのホームラン王バージョン」(税込700円)が発売中だ。ナボナを手に笑顔を見せる現役時代の王さんがプリントされ、中にはチーズクリーム、パイナップルクリーム、季節限定マロンクリームの3種入り。今年限りのプレミア商品で、公式HPのナボナ広場(https://www.navona-hiroba.jp/)からも購入できる。

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