【巨人】引退の寺内、衝撃だった若手への告白…守備職人が「イップスなんだ」

スポーツ報知
17年9月5日の中日戦、11回1死二、三塁、左越えサヨナラ3ランを放ちガッツポーズをする寺内

 巨人から戦力外通告を受けた寺内崇幸内野手(35)が引退を決断したことが11日、分かった。

  寺内といえば鉄壁の内野守備。どこでも守り、若い選手の手本にもなった。数年前、後輩選手から質問を受けていた。「何であんなに送球が安定しているんですか」と。寺内の答えは、予想もしないものだった。

 「俺、イップスなんだ」

 接戦のしびれる場面で何度も守備固めとして起用されてきた。難しいゴロをさばき、素早く正確な送球でアウトにする場面を何度も見た。そんな守備職人が「イップス」とは…。衝撃の告白に、一緒に聞いていた私も信じられなかった。

 「イップス」は緊張などから体が思い通りに動かなくなること。野球では意図した場所に投げられないことを指すことが多い。その理由は精神面とも言われるが、本人にしか分からない苦しみ、繊細な感覚だ。

 寺内はあの時、後輩選手にこう続けていた。

 「イップスは技術でカバーできると思っている。体の使い方、足の運びとかいろいろ考えてやっているよ」

 自分自身が送球難と受け入れ、日々のキャッチボールからグラブの位置や全身のバランス、フォームを研究しながら一球一球、丁寧に投げ続けた。どれだけ試合で実績を残しても、いつ「イップス」の症状が出るかは分からない。寺内はそんな恐怖心とも戦いながら、細かい部分まで徹底的に追求し、自分なりに技術面の自信をつかむことで正確な送球を生み出していた。

 引退決断後、寺内は自身のプロ野球人生について「守備固めで使ってもらうことが多かったのでワンプレー、ワンプレーにものすごい責任を感じていましたし、自分の中で誇りというか、こだわりのようなものがありました」と振り返っていたのが印象的だ。

 尊敬する先輩・元巨人の鈴木尚広氏の姿勢を見習って準備にも人一倍、時間をさいていた。今年は足を痛めたこともあり1軍出場なしに終わったが、「プロに入った時は12年もできると思っていなかった。やるだけやりました。スッキリしました」。厳しいプロ野球の世界で、最後まで探求心を胸に戦い抜いた。

 (巨人担当・片岡優帆)

 ◆寺内 崇幸(てらうち・たかゆき)1983年5月27日、栃木市生まれ。35歳。栃木工―JR東日本を経て2006年大学生・社会人ドラフト6巡目で巨人入団。通算670試合、打率2割1分8厘、5本塁打、39打点。13年に出場辞退した中日・ルナに代わり球宴出場。当時の原監督が「セ・リーグを代表するスーパーサブ」と選出。177センチ、73キロ。右投右打。

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