【巨人】原新監督、背番号は「83」異例の由伸監督同席で23日就任会見

スポーツ報知
83番をつけた就任1年目の02年日本シリーズで優勝、ファンにあいさつする原監督

 巨人・原辰徳新監督(60)が23日に誕生する。東京・大手町の読売新聞本社内で就任会見を行うことが決定。今季限りで辞任する高橋由伸監督(43)も同席予定で「新旧監督」によるバトンタッチが行われる。原氏とは水面下で交渉を続け、この日までに複数年契約で合意した見込み。背番号は第1次政権下(02、03年)でつけていた「83」になるもようだ。この日、来季の新コーチングスタッフも発表され、いよいよ「原第3次内閣」がスタートする。

 3年間の悔しさ、次世代への希望はそのまま、原辰徳新監督へと受け継がれる。23日に東京・大手町の読売新聞本社内で「新旧監督」が同席する異例の会見場を設定。退任する由伸監督、そして山口寿一オーナーの3人が壇上に上がり、それぞれが思いを述べ、新チームへと移行する。

 敗退から3日。クライマックスシリーズ(CS)最終ステージ(S)で広島に3連敗を喫した屈辱は今も忘れられない。だが、前に進まない限り、未来は開けてこない。球団はこの日までに原球団特別顧問と水面下で交渉を進め、複数年契約で基本合意したことが判明した。4年連続V逸からの立て直しはもちろん、常勝軍団をつくり上げるための期間をしっかり設けた形だ。

 関係者の話を総合すると、背番号も「83」で決まったもようだ。原氏が初めて監督に就任した02年に選んだ番号で、自身が現役時の「8」と、尊敬する長嶋茂雄終身名誉監督の背番号「3」を合わせたもの。原氏の中では原点に立ち返る意味が含まれており、15年以来となる「第3次政権」へ向けた強い思いが、背番号に込められている。

 同席する由伸監督とは、電話での連絡を密に取ってきた。15年シーズンを最後に現役引退、すぐに就任した経緯もあり、常に「由伸政権」を気にかけてきた。リーグ優勝はならなかったが、岡本や吉川尚、田中俊や大城ら、若手選手を育て上げた手腕は誰もが認めるところ。滑り込みでCSにも進出し、第1Sではヤクルトに連勝。その采配面にも敬意を表していた。19年シーズンへの礎を築いた由伸監督への最大限の誠意が「就任&退任会見」の同時開催。現指揮官も快く受諾したもようだ。

 23日、いよいよ「第3次・原内閣」がスタートする。原新監督の就任要請にともない、来季コーチングスタッフも随時進めてきた。参謀となるヘッドコーチを置かず、吉村打撃コーチの肩書を「打撃総合コーチ」とし、OBの宮本和知氏を投手総合コーチとして招へいする。元木大介氏も内野守備兼打撃コーチとして招くなど、打撃部門に3人を据えて強力打線をつくり上げる狙いもある。

 新たな風を入れるために、コーチ陣は大幅に刷新された。来季から2、3軍のコーチは「ファーム」という肩書に統一され、区分けをなくすことも決定した。原新監督のアイデアによるもので、さらなる育成強化が期待できる。23日の会見を経て、秋季練習が始まる27日にもジャイアンツ球場で始動する。

 ◆原氏の背番号 現役時代は1995年に現役引退するまで「8」をつけた。99年に野手総合コーチとして復帰し、ヘッドコーチを務めた2000、01年までは「80」。第1次政権の02、03年は「83」。第2次政権の06~15年は「88」を背負った。

 ◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。60歳。東海大相模高、東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。野手総合コーチなどを経て2002年に監督就任。03年オフに退団し、06年に巨人監督復帰。09年第2回WBCで日本代表を世界一に導いた。巨人では指揮を執った12年間でリーグ優勝7度、日本一3度。15年に監督を勇退。今年1月に野球殿堂入りを果たした。181センチ、88キロ。右投右打。

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