【巨人】原新監督「のびのび野球」で日本一奪回へ決意表明…就任会見

スポーツ報知
引き締まった表情で就任会見を行う原監督(カメラ・中島 傑)

 第3次原政権が誕生した。巨人は23日、東京・大手町の読売新聞本社で原辰徳新監督(60)の就任を発表した。4年ぶり3度目の指揮を執るにあたって「原点回帰」の意味を込めた背番号は、初めて監督となった02年から背負った「83」に決定。契約期間は3年。球団史上ワーストタイの4季連続V逸という危機的状況からの再建を託された名将は会見で「スポーツ、野球の原点である、のびのびと楽しむ」と初心に帰った「のびのび野球」をキーワードに、日本一奪回を目指すと明かした。

 強いまなざしで、壇上から前を見据えた。原新監督は無数のフラッシュを浴びながら、約200人の報道陣を前に「19年より、監督を三たび引き受けることになりました原辰徳です。若きリーダー・高橋由伸監督が3年間で新しく築き上げてくれたものを継承し、さらに大きく育てていきます」と力強く決意表明した。

 巨人史上最長タイの4年連続V逸となった今季。山口オーナーが「非常に難しい状況」と危機感をあらわにする中で再建を託された。3年間、現場を離れた形でチームを見続けてきたが、現状は理解している。

 打破するキーワードは原点回帰。「やっぱりスポーツ、野球の原点であるのびのびと楽しむ。勝っては喜び、負けては悔しがる。この、のびのび野球を私自身も含めて原点に戻るという点でする」。背番号もハツラツと希望に満ちて初めて指揮を執った02年に背負った「83」を自ら選んだ。32分間の質疑応答中に6度も使った「のびのび」という言葉で、選手に勝つ喜びを再び植え付ける。

 戦力も原点に立ち返って、まずはフラットな視点で分析していく。「いい選手はたくさんいる」と前置きした上で、続けて強調した。「やっぱり『巨人軍』でなければいけない。『個人軍』ではいけない。束ねられる一人一人の力をしっかりと見極め、誰がジャイアンツにとって一番なのかしっかり観察してチームを作っていきたい」。実力至上主義を大前提とし、互いに補い合って個々の強さをチームの“和”としていく。

 スタッフも最高のメンバーをそろえた。1軍には宮本投手総合、元木内野守備兼打撃、鈴木外野守備走塁、相川バッテリーとプロでは初指導となるコーチも多く、フレッシュな陣容だ。解説者、評論家として巨人の現状を熟知している点を強調し「(指導者の)経験があることがマイナスに働くケースもある。現状で(巨人が)置かれている立場もしっかりと分かった上で、来年に向かうことに関しては最高のスタッフと戦うことができる」。指導経験の有無は問わない。2、3軍スタッフも明確な線引きをせず、指導者同士の切磋琢磨(せっさたくま)も促し、チームの力へつなげる。

 第3次原体制の始動は27日の全体練習からとなり、初采配は11月8日の日米野球エキシビションゲーム・MLBオールスター戦(東京D)となるが、先駆けて監督としての初仕事が訪れる。25日のドラフト会議だ。この日も球団事務所で行われたスカウト会議に出席し、戦略を練りに練った。「自分の中での戦いの火ぶたはドラフト。非常に有望な新人選手を発掘する作業はプロ野球にとって大事な大事な役割」。1位指名で一本化している大阪桐蔭高・根尾は競合確実。その手で、未来を引き当てる。常勝軍団だった巨人を、あるべき姿に。原新監督の原点回帰への戦いが始まる。(西村 茂展)

 ◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡・大牟田市生まれ。60歳。東海大相模高、東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。野手総合コーチなどを経て2002年に監督就任。03年オフに退団し、06年に巨人監督復帰。09年第2回WBCで日本代表を世界一に導いた。巨人では指揮を執った12年間でリーグ優勝7度、日本一3度。15年に監督を勇退。今年1月に野球殿堂入りを果たした。181センチ、88キロ。右投右打。

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