【巨人】ドラ1“みちのくのドクターK”高橋優貴、憧れ菅野に「もっと近づきたい」

スポーツ報知
巨人から1位指名され、ユニホームを着て笑顔でポーズを取る八戸学院大・高橋優貴(カメラ・有吉 広紀)

◆プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD(25日・グランドプリンスホテル新高輪)

 巨人は「外れ外れ1位」で八戸学院大の高橋優貴投手(21)を単独指名した。北東北大学リーグで通算301奪三振のリーグ記録を持つ。原辰徳監督(60)は「左投手ではNO1の評価」と話し、高橋は「新人王を目指して頑張りたい」と宣言した。巨人など4球団が競合した大阪桐蔭高・根尾昂(あきら)内野手(18)は中日が交渉権を獲得。平成最後のドラフト会議は、好素材がそろった高校生野手に人気が集中した。

 憧れの舞台への“扉”は、想像以上に早く開いた。八戸学院大の寮でテレビ中継を見ていた高橋の目に飛び込んできた巨人1位指名の知らせ。もっと後の順位だと思っていた。「驚いたのが一番。4年間の頑張りが評価されたのはうれしく思います」と喜びをかみしめた。

 リーグ戦では1年春から主戦投手として活躍。最速152キロの直球を武器に、積み上げた奪三振は、富士大・多和田(現西武)の299個を上回る301個。リーグ記録を塗り替えた。東海大菅生(西東京)時代はエースではなかったが、同校・若林泰弘監督(52)の東海大の先輩だった八戸学院大・正村公弘監督(55)が能力を高く評価。4年間、投球フォームから人間性まで指導を受け、大輪の花が咲いた。

 大学2年の春に“完成”したスクリューボールが投球に幅を持たせた。かつて中日の山本昌や広島で活躍した川口和久ら左の好投手が操った勝負球で、右打者の外角低めに沈むのが特徴だ。「直球以外にストライクを取れる球種が増えた」。自分のものにするため、高校時代から習得に取り組んだ。授業中でも左手の中指と薬指にボールを挟んで研究を重ねた。鍛錬し続けた球種で、プロも注目する存在となった。

 巨人での憧れの投手を問われると「菅野投手。今は日本のエースだし、一つでも多く吸収したい」と即答した。東海大菅生高入学直前の2012年3月、当時浪人中の東海大・菅野が同校の練習場を訪れ、投球練習を間近で見たことがある。まだプロになっていない菅野の球の速さやキレ味に驚がくした。あれから約6年。運命は再び交わることになった。「近づけるよう頑張ってきたつもりだし、近づいているとは思うけど、もっと近づきたい」と対面を心待ちにしている。

 巨人で今季、2ケタ勝利をマークしたのは15勝の菅野のみ。開幕ローテ入りのチャンスはある。「目標は長くプレーをすること。早く1軍のマウンドに上がって、新人王を目指して頑張りたい」。ドラフト指名後、正村監督の携帯電話には大学の5つ上の先輩でもある原監督から着信があった。「即戦力として期待しているから暴れてくれ。いい投手だから」とメッセージが届いた。プロになった実感が湧いてきた。

 まだ最後の仕事が残っている。27日からは明治神宮大会東北地区代表決定戦(福島・郡山市)が控える。「まだ全国の舞台に出ていない。勝って全国に出て、やり残したことがないようにしたい。悔いが残らないように投げ抜きたい」。有終の美を飾り、プロという大海原へ飛び込んでいく。(楢崎 豊)

 ◆「早く1軍で活躍」高橋に聞く

 ―指名を受けて。

 「1位という光栄な順位で指名されてうれしく思う。自分の目標は1軍で活躍すること。それに向かって頑張っていきたい」

 ―巨人の印象は?

 「伝統のある、強いチーム。早く活躍して試合に出られるようになりたい」

 ―感謝の気持ちを誰に伝えたい?

 「両親や大学の監督、コーチ、いろいろな人に支えられてここまでやってこれた。関わってもらった人全員に感謝したい」

 ―正村監督の存在は?

 「投球の細かい部分まで指導してもらって、技術が向上した。4年間使い続けてもらって、こういう場所に立てている」

 ―初めて八戸に来たことを覚えている?

 「(入学前の14年)11月に来て、寒いなと思ったけど、練習環境を見て4年間ここで成長できると思った」

 ―座右の銘は?

 「一球入魂です」

 ◆高橋 優貴(たかはし・ゆうき)1997年2月1日、茨城・ひたちなか市生まれ。21歳。田彦小3年時に勝田スポーツ少年団で野球を始める。田彦中では友部シニアで投手としてプレー。東京・東海大菅生では1年夏からベンチ入り、3年夏は西東京大会準優勝。178センチ、82キロ。左投左打。家族は両親と弟。

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