【巨人】元木コーチインタビュー クセ者だから、野球を離れていたから伝えたいこと

スポーツ報知
12日の練習で笑顔を見せる元木コーチ(左は松原=カメラ・中島 傑)

 新生・原巨人の新コーチに方針などを聞くスポーツ報知の独占インタビュー。第3回は元木大介内野守備兼打撃コーチ(46)。長らく外からジャイアンツを見ていたからこそ、ユニホームを着ている選手たちに伝えたい思いを明かした。そして、現役時代に「クセ者」と呼ばれた男は、どのように後継者を育てようとしているのか。(取材・構成=尾形 圭亮)

 05年にユニホームを脱いでから13年間。解説者として、またタレントとして外側から野球界を見てきたからこそ分かることがある。「いろんなことを伝えてあげたい」という元木コーチは、まず切り出した。

 「『野球を辞めてから、すごく大変だよ』って。俺もユニホームを着ている時は全然気づかなかったけど。『そんな簡単にお金は稼げないよ』って。みんな『元木さんはテレビ出てるから稼いでるんでしょ』って思ってるかもしれないけど、『あんたたちがヒット1本打つ方が高いよ』と言いたい」

 ユニホームを着ている限り、チャンスは無限に転がっているということだが、だからこそ、危機感が薄れてしまうことにもつながっているのかもしれない。今年8月には「カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会」で日本代表の監督を務め、大会3連覇を成し遂げた。将来、プロを夢見る小学生の懸命な姿に胸を打たれ、同時にプロの選手が“しくじらない”ためには、どうすればいいかが頭の中を駆けめぐった。

 「(野球界の)外にいる時は『野球選手っていいな』って思っていたもん。それを最初に、辞める前に気づいてほしい。『クビ』と言われてから焦っても遅い。特に家族を持っている選手は『子供たちをいかに幸せにするか』っていうふうに頑張ってほしい」

 現役時代は松井秀喜や清原和博ら、周囲にはスーパースターがたくさんいた。それが、元木コーチの現役時代の代名詞「クセ者」へと変貌するきっかけだった。

 「昔はみんな、自分たちの見せ方、特長を分かっていたよね。『打線の中で何をすべきなのか』と。俺も自分がどういうプレーヤーなのかを理解して、それを全うしただけ。あんな30本も40本もホームランは打てない。『アウトになっても走者を進めるぞ』とか、いい打者がそろう打線の中で、『こうした方がいいな』とか考えてやっていた」

 セ・リーグで広島が3連覇と黄金期を迎えている裏には、そういった「クセ者」の存在があると指摘する。そして、それは今の巨人に足りない部分でもある。

 「広島の田中や菊池は、打つだけじゃなくて走れるし、一発もあってセーフティー(バント)もできる。強いチームはそういう選手が多い。ジャイアンツにも当然、必要。尚輝(吉川)とか、あのへんがね。長打もあるし、バントもできて足が速い。当時の俺なんかより、格段に身体能力が高い。打線の間にいたら嫌だと思うね」

 秋季キャンプの紅白戦では、けん制時の走者に対する「バック!」の声かけ徹底など、常にグラウンドに集中することを意識づけている。「クセ者」的なプレーを実現するためには、そのような観察力が大切になる。

 「『お、こいつ何やるんだ』っていう選手が出てきてほしい。どういう状況でやればいいのかはセンスもあると思うし、なかなか教えてできるものじゃないのかもしれないけれど、自分が『よし、やるぞ』と思った時には体が動いてないとね。だから『周りをよく見なさいよ』と。ゲームの流れを読んで、その中で自分が何をすべきかなんだから。ベンチの中でも私語なんかいらないし、後れを取っていいことなんて一つもない」

 そして、集中力を研ぎ澄ませたその延長に、あの“大技”の再現があるかもしれない。

 「今の時代、隠し球がまず無理だと思うのは、打者がひじ当てとか、走塁用の手袋に替えたりとかで、頻繁にタイムがかかるから。そこからプレーがかかって、『さあ隠し球やろう』と思ってもちょっとね。みんな見てるわな。でもそのタイムがかかる中で、マウンドの方に寄っていって、声かけるフリしてボールを取るとかさ。そういうのをやっても面白いかもね」

 常に相手が嫌がることを考え、仕掛ける。常勝軍団再建にはど派手な一発だけではない、小粒でもピリリと辛い存在が必要だ。

 ◆元木 大介(もとき・だいすけ)1971年12月30日、大阪府生まれ。46歳。上宮高で甲子園に3回出場し、甲子園通算6本塁打は清原(PL学園)の13本に次ぎ、歴代2位タイ。90年ドラフト1位で巨人入り。相手の意表をつく小技、隠し球などの大技も見せ、当時の長嶋監督が「クセ者」と命名した。2005年オフに33歳で現役引退。18年オフに巨人内野守備兼打撃コーチに就任した。通算1205試合で打率2割6分2厘、66本塁打、378打点。右投右打。

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