【巨人】内海、涙の別れ「大きくなって戻ってこられるように」 炭谷FA移籍の人的補償で西武へ

巨人は20日、FAで獲得した炭谷銀仁朗捕手(31)の人的補償として西武に内海哲也投手(36)が移籍すると発表した。2003年に自由獲得枠で入団し、巨人一筋15年。11、12年には最多勝を獲得するなど通算133勝を挙げた功労者で、チームの精神的支柱でもあったベテラン左腕は球団職員の前で涙を流して別れのあいさつ。電撃移籍にも前を向き「ひと回りもふた回りも大きくなってジャイアンツに戻ってこられるようにしたい」と新天地での活躍を誓った。
チームに衝撃が走った。内海はこの日午前、西武への移籍を告げられた。都内の球団事務所で職員に別れのあいさつ。言葉に詰まり、目には涙が浮かんでいたという。原監督に電話で激励され、石井球団社長からは「いつの日か再びジャイアンツに戻ってきて」と将来の復帰を望まれた。ベテラン左腕はこのコメントを受け止め、成長を誓った。
「そうやって言ってもらえるのはうれしいです。ビックリしましたが、ひと回りもふた回りも大きくなってジャイアンツに戻ってこられるように頑張ります」
祖父・五十雄さんは1938年から巨人に在籍。球団で背番号「26」を初めてつけ、内海がそれを継承した。「堀内さんが自分を使ってくれなかったら今の自分はありません」。入団時の監督だった堀内恒夫氏(スポーツ報知評論家)に我慢強く起用してもらい、エースへの階段を上った。
原監督となった06年から9年連続で規定投球回に到達。09年WBCでは世界一に輝いた。11、12年は2年連続最多勝。特に11年はシーズン最終戦、長野のサヨナラ満塁本塁打によって18勝目がつき、中日・吉見と並んでタイトルを獲得。号泣して仲間に感謝した。リーグ優勝6度、日本一2度。数々の記憶がよみがえる。
「日本一のファンに支えられた15年間は最高の思い出です。野球人として大きな誇り。チームメートに感謝の思いしかありません」
10年から13年まで選手会長。「投手と野手がもっと交流したほうがいい」とチーム内の派閥や壁をなくし、風通しを良くした。新加入の選手がいれば歓迎会を主催。親しみやすいように後輩を下の名前で呼んだ。長年、合同自主トレした山口鉄を始め、誰からも慕われた。
近年は満足いく成績を残せず、もがいた。「相手からすれば『内海哲也=チェンジアップ』だと思う。何かを変えないといけない」とカットボールなど新球にも挑戦した。「もうひと花咲かせたい」と臨んだ今年は4年ぶりの完封をマークするなど5勝を挙げた。豊富なランニング量、早朝から練習する姿…。内海が残した足跡は若手の財産となり、今後も受け継がれる。
球団が28人のプロテクトリストから苦渋の選択で内海を外して移籍となったが、愛する巨人を離れる寂しさをこらえて前を向いた。
「ジャイアンツで培った全てを生かし、気持ちを新たに頑張ります。ジャイアンツの皆さん、日本シリーズで対戦しましょう」
来年4月で37歳。西武でパワーアップした姿を見せる覚悟だ。(片岡 優帆)
◆内海 哲也(うつみ・てつや)1982年4月29日、京都府生まれ。36歳。敦賀気比高から東京ガスを経て、03年のドラフト自由獲得枠で巨人入団。07年に最多奪三振のタイトルを獲得し、11年には18勝、12年は15勝で2年連続最多勝。12年はベストナインも受賞。09、13年WBC日本代表。16年にプロ野球人の社会貢献活動を表彰する報知新聞社制定「ゴールデンスピリット賞」受賞。186センチ、95キロ。左投左打。