【巨人】原監督「和と動」で「一丸となって日本一奪回」…新年インタビュー〈後編〉

スポーツ報知
東京ドームをバックに、力強くチーム構想を語る原監督(カメラ・橋口 真)

 巨人・原辰徳監督(60)が、新年を迎え、スポーツ報知に新生・巨人を語り尽くした。広島からFAで加入した丸を2番で起用する“初夢オーダープラン”を披露。小林や長野にはピリッとしたコメントを残した。戦術面にも踏み込み、初回無死一塁での送りバントは「全く考えない」と言い切った。31日に発表されたチームスローガン「Show The Spirit~和と動」に込めた思いとは? これを読めば、今季の巨人の全てが分かる。(取材・構成=西村 茂展、片岡 優帆)

 前編から続く

 今季のチームスローガンは「Show The Spirit~和と動」に設定した。

 「『和』はチームワークやチームを愛する心、『動』は個々のパフォーマンス。両方が備わって、チームは最大限の力を発揮する。和は支えてくださるファンであり、動は戦う選手。ファンの熱い声援があってこそ、我々は一丸となってリーグ優勝、日本一奪回という目標にまい進できる。そんなふうにいろいろな解釈ができる」

 第3次政権を執るに当たって、原監督は「これまでのキャリアは捨てる」と言ってきた。今季の背番号「83」も監督初年度の02年に背負った、まさに原点回帰でもあるが、このスローガンも同様だった。

 「実はこれは、僕が東海大相模の時に父親である原貢監督が『スポーツと学業の両立』と共に、合宿所に飾ってあった言葉。ただ、意味を我々に説明してくれなかった。この3年間、現場を離れて、その意味が何となく、自分の中でああ、なるほどなと。60歳になってちょっと理解できてきた。だからこれを自分は継承させてもらおうと思った」

 就任会見で「のびのび野球」を旗印とした。選手の中にはミスを恐れず、積極的にプレーすると解釈した者もいた。

 「『失敗を恐れないでいけ』というのは指示としてはマイナス。俺はそんなことは言わない。試合というのは、練習の腕試しの場所。『お前さんが正しい練習をしているかどうかの発表会じゃないか、思い切っていってこい』と」

正しく練習し失敗恐れぬ心 「失敗を恐れるな」というのは選手の肩の荷を下ろすようにも思える指示だが、指揮官の解釈は違う。練習通りにできれば、失敗はしないという信頼があるから、そう言う必要がない。

 「結果でああだこうだは言わない。ただ練習で正しくできていたのに、試合になったらこう(違うように)打っていた、というのは何なの。練習のための練習やってたのかって。それじゃあ違うと。練習だろうが試合だろうが、自分のスタイルをなぜ貫けないのか。それは許せないね。それと、勝負に関してはやっぱり貪欲に最後の最後まで諦めない。プレースタイルはマイナスなことは考えずに、のびのびと戦う姿勢であってほしい。それともう一つ大事なことは、常にいいコンディションでゲームに臨む。この3点は譲れない」

 5年連続V逸となれば、球団史上ワーストを更新する。そんな最大の危機も、原監督の視界に影を落とすことはない。過去は何の意味も持たないのだから。

 「不安は何一つない。もう希望しかない。毎年、横一線からスタートできる。立ち向かって全員を束ねて、一つになって戦う。一つになるというのは仲良くすることじゃなくて、同じ目的を持つ。それは勝つことだと。3度目(の監督就任)だけど正直、いつもチーム状態が決していい状態で(お話を)受けていません。そういう点では望むところ、と思っています」

 全てをプラスに捉え、エネルギーに変える。インタビューを終えるとき、原監督の表情が一層、明るさを増した。

 ◆原巨人の過去の指針 かつては監督指針を漢字2文字で定め、これに「Show The Spirit」のフレーズを加えたものがチーム指針となるケースが多かった。02、03年のようにチーム指針が「Show The Spirit!」だけの年もあった。12年からは監督指針とチーム指針の区別は実質的になくなった。

 ◆原貢と辰徳の父子鷹 74年に辰徳氏は父・貢氏が監督を務めていた神奈川・東海大相模に入学。親子である以上、チームの和を保つため「おまえのライバルの力が少し劣っているくらいでは、俺は彼(ライバル)を試合で使う」という厳しい指導の下、74夏、75年春、夏、76年夏と4度甲子園に出場。辰徳氏の東海大進学と同時に、貢氏が同野球部の監督に就任。4年間で7度、首都大学リーグ優勝を勝ち取った。

 ◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡・大牟田市生まれ。60歳。東海大相模高、東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。野手総合コーチなどを経て02年に監督就任。03年オフに退団し、06年に巨人監督復帰。09年第2回WBCで日本代表を世界一に導いた。15年オフに退団。巨人では指揮を執った12年間でリーグ優勝7度、日本一3度を含む通算947勝712敗56分け。18年1月に野球殿堂入りを果たした。181センチ、88キロ。右投右打。

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