巨人・原監督から柔道男子・井上康生監督へ「監督の武器は言葉」スペシャル対談(前編)

スポーツ報知
対談を行った原監督(右)と柔道日本代表・井上監督が日の丸を手にポーズ(カメラ・橋口 真)

 ニッポンの名将2人が、新春スペシャル対談を行った。巨人・原辰徳監督(60)と柔道男子日本代表の井上康生監督(40)。高校、大学の先輩後輩同士でもある2人はそれぞれ伝統と歴史を背負い、違うフィールドながら結果を出し続けてきた。3日の箱根駅伝では2人の母校である東海大が悲願の初優勝。その熱が冷めやらぬ中、三たび監督の座に就いた原監督と、東京五輪へ勝負の年を迎えた井上監督が、互いの勝負哲学から世界で戦うための心構えまで、監督論を語り尽くした。その模様を前、後編にわたりお伝えします。(取材・構成=高田 健介、林 直史、太田 倫)

 野球界の名将と、柔道界の若きリーダーは深い縁で結ばれている。ともに名門・東海大相模から東海大へ進学。3日には、その東海大が箱根駅伝で悲願の初優勝を果たした。母校の快挙に、原監督と井上監督は歓喜した。

 原監督「いやあ、感動したね。東海大の駅伝にとって新たなスタートになったと思うしね。勝つ苦しさ、厳しさもあったはずだし、我々の戦いと共通する部分もたくさんある。ずっと応援していたから本当にうれしいよ。OBとして大いに励みになったし、刺激にもなった。これから、常勝を目指してもらいたいね」

 井上監督「両角先生を始め、学生たちの頑張りは心を打たれましたし、多くの方々に感動や希望を与えたと思います。我々も2020に向けて、柔道を通じ、夢、希望、勇気を与えられるように頑張りたいと思います」

 原監督は通算12年の監督生活で日本一3回、09年のWBCでは世界一にも輝いた。一方の井上監督は、リオ五輪で男子全階級にメダルをもたらし、お家芸復活に導いた。そして2019年。原監督は三たび巨人軍監督に就任し、井上監督は重要なプレ五輪イヤーを迎える。2人はどんな一年の計を描いているのか。

 原監督「自分は原点に戻ろうと、ゼロからスタートと思っている。キャリアが豊富とか周りは言ってくれるが、時は流れている。今までのものを抜きにして指揮を執ろうと。ゼロとはなんぞや、というと、一番最初に選手に言いたいのは『とにかく伸び伸びやってくれ』ということ。元来、野球が日本に来たときに、ボールを持ち、グラブをはめて、喜んで楽しく野球をやったわけだよね。そこの原点を忘れてはいかん、僕自身もそのつもりでいく、ということをまず言いたい」

 井上監督「2020年に向けて非常に大事な年。原監督のお言葉ではないですけど、原点というものを忘れずに、これから先に取り組んでいくことは、信念を曲げずにやっていきたい。20年になったときにバタバタ慌てないようにしたいですね」

 原監督「ある意味19年の方が大事だよね」

 井上監督「準備だけは欠かさずにやっていきたいですね」

 原監督「井上監督には、追われる立場の2020であってほしい。勝つべくして勝つことが本当の強さ。世界中が日本を絶対やっつけるぜ、って来る。これで勝つことが、勝負師の最高の醍醐(だいご)味でしょう」

 井上監督は、巨人がキャンプを張る宮崎県の出身で、もちろん巨人ファン。原監督も現役時代から後輩をかわいがっており、交流は長い。井上監督の話しぶりにはどことなく原監督をほうふつとさせるものもある。

 原監督「宮崎つながりもあるし、東海大相模、東海大のつながりもある。井上監督はスーパーヒーロー。現役の時から『よく頑張ってるねえ』と激励をしたりね」

 井上監督「時にプライベートで食事をごちそうしていただいて、その時にいろんなお話をさせていただいたり。今、監督としてもお会いする機会が非常に増えた。何げないお話の中でも私自身大きな力を頂いています」

 原監督「話し方が似てきた? 井上監督はまだ九州なまり。僕は標準語だから(笑い)」

 井上監督「ここまで上手なお話で爽やかに皆さんを喜ばせることはできませんけど、いろいろとお仕事なんかでも接する機会をいただいて、例えば言葉の中身や話し方においても、非常に刺激をいただいたり勉強させてもらってる部分はあると思います。我々にはボスの山下泰裕先生がいますが、山下先生の話し方にも似ていると言われるので、極力そうならないように気を付けています(笑い)」

 原監督「監督の武器は言葉ですよ。いろんなことを知るということは大事だし、その人間に合ったアドバイスっていうのもある。オレの気持ちが分からないのか!と言っても選手たちは分からない。監督として話す意見を、選手たちはよく聞くんです。言霊というか、説得力を持って響く」

 井上監督「本当にその通りです。私も09年からロンドン五輪までの4年間はコーチとしていろいろと仕事をさせてもらいましたが、表面的なことはできても、一緒のことを言った場合には監督とコーチでは選手の吸収が断然違いますね」

 原監督「僕は長嶋さんの下で3年間コーチをやってね。コーチは、監督の後ろ盾があって、思い切ったことができる。でもコーチが大きな声でおい!って言っても、選手はなかなか聞かない。でも監督なら小声でしゃべっても聞いている(笑い)。コーチには限界はあるけど、監督には限界がないね」

 2人とも、日の丸の重責は知り尽くしている。世界を舞台に戦う上で、大切にしているものは何か。

 井上監督「例えば日本人に強いが、海外には全く通用しないっていう選手もいる。ホームに強くてもアウェーに弱い選手もいる。例えば試合場でも、日本だと全てが整っている。練習パートナー、食事、寝る場所だとか。海外に行ったらそんなことないですから。ウォーミングアップ会場で畳1畳ぐらいしか確保できないということもある環境もある。その中でもたくましく強く勝負していかないといけない」

 原監督「国際試合っていうのは、何が起きても不思議ではない。WBCのときは、審判の人たちをどんなことがあっても敵に回すな、と言った。僕はあえて、審判と話をする時はもう作ってもいいから笑顔で話をした。そして非常に評判が良かったらしい(笑い)。ならば五分五分だったら勝つよね。それも適応力というか順応力だよね」

 井上監督「まさしくその通りです。昨年9月の世界選手権でも、勝てば勝つほどだんだん審判は辛口になってくる。こっち側が勝って当たり前みたいな姿を見せた瞬間に、より一層、辛口になる。だからコーチたちにも、振る舞いだとか言動だとかそういうところは十分に気を付けようと。世界と戦うために必要な要素の一つと感じました」

 原監督「全てのものを味方にするという考え方は必要。WBCの決勝はドジャー・スタジアムで韓国とやったんだけど、韓国の応援はすごくて完全にアウェー感があった。それでも、相手の応援をしてる人に向かって戦うんではなくて、全てのものと融合し合うっていうかね。イチローを始め、みんなに言ったのはね、『このグラウンドも応援してくれてるぜ、まずグラウンドにあいさつして、土でもつけて、よろしくお願いしますってやろうぜ』と。そしたらグラウンドも空気も味方になるから、と」

 ◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡・大牟田市生まれ。60歳。東海大相模高、東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。野手総合コーチなどを経て2002年に監督就任。03年オフに退団し、06年に巨人監督復帰。09年第2回WBCで日本代表を世界一に導いた。15年オフに退団。巨人では指揮を執った12年間でリーグ優勝7度、日本一3度を含む通算947勝712敗56分け。18年1月に野球殿堂入りを果たした。181センチ、88キロ。右投右打。

 ◆井上 康生(いのうえ・こうせい)1978年5月15日、宮崎・都城市生まれ。40歳。東海大相模高、東海大を経てALSOK入り。100キロ級で2000年シドニー五輪金メダル。99、01、03年世界選手権優勝。全日本選手権は01年から3連覇。08年に引退。英国留学を経て、12年ロンドン五輪で史上初の金メダル0に終わった男子の再建を託され、男子代表監督に就任。16年リオ五輪で金2を含む全7階級でメダル獲得に導く。13年に国際柔道連盟殿堂入り。183センチ、108キロ(現役時)。妻でタレントの東原亜希との間に1男3女。

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