【特集 激白G戦士】悲壮・小林誠司「勝負は挑んでいきたい」

スポーツ報知
古巣で自主トレ、インタビューに応えた小林(カメラ・越川 亘)

 「ぐわぁぁ!!」 叫び声が響いた。男はその端正なマスクを大きくゆがめて、バーベルスクワットを続けた。

 2019年1月、大阪府内のウェートトレーニングルーム。巨人の小林誠司捕手(29)は、バーベルを下ろすと、よろめくように床に座り込んだ。額から流れる汗が、床にぽとりと落ちた。

 「今まで通りじゃあかんな、と」。一心不乱になりふり構わず20秒間一気にこぎきったバイクから、崩れ落ちてあお向けに倒れ込んだ。肩で息をして、腕で目を覆った。

 「やばい…」言葉は短くしか出てこない。見ている方もしんどくなるほど、肉体をいじめ抜いていた。誰もが認めてくれる存在になりたい―。その思いが、小林を動かしていた。

 新たなシーズンが始まる。「不安と恐怖しかない」そう言って、目線を下げた。

 プロ3年目の16年シーズンから毎年100試合以上でマスクをかぶってきた。

昨年も143試合中119試合に捕手として出場。セ・リーグでは3年連続となる、盗塁阻止率トップの座をまもった。

 これは巨人では“栄光のV3時代”の正捕手・森昌彦が1960~62年に達成して以来の偉業。同い年のエース・菅野智之とのコンビは「スガコバ」と呼ばれ、17年には最優秀バッテリー賞も受賞している。

 甘いマスクもあって、ファンからの人気も絶大。約束された立場があってもおかしくない。それでも、小林には危機感しかなかった。

 「今年は、じゃない。毎年毎年、色んなキャッチャーが入ってくるし」

 チームの捕手補強が止まらない。17年オフには“即戦力”の期待がかかる社会人出身の2捕手をドラフト上位で獲得。そしてこのオフにはフリーエージェント(FA)で西武から炭谷銀仁朗がチームに入った。

 13年のドラフト1位指名で自身を獲得してくれた当時の指揮官・原辰徳氏が3度目の監督に就任したばかり。小林にとって追い風になるどころか、その原監督が自ら炭谷を口説き落として獲得した。

 炭谷は小林の2歳年上。若手の台頭で18年シーズンは47試合の出場にとどまったが、12、14、16年と3度のパ・リーグ盗塁阻止率トップに君臨。ゴールデン・グラブ賞に12、15年と2度輝き、捕手として抜群の試合経験を誇る。

 堅守強肩がウリなのは、小林と同じ部分。年俸6000万円の小林に対し、炭谷には年俸1億5000万円の3年契約が準備された(金額は推定)。球団の期待値は言わずもがな、だ。

 「自分自身に対して、やっぱり情けないな、って言うか…」。

 トレーニング場内は、1月の外気とは無縁。動いた体の熱気も手伝って温かい。その中の1つの器具にちょこんと腰掛けて、心ここにあらずという感じで遠くを見つめながら話し出した。

 「自分が出て、勝ててない。優勝してない。そういう勝負の世界だから仕方ない、って部分と自分自身が情けない」。

 18年シーズンも3位で終わり、4年連続V逸となった巨人で、過去3年100試合以上捕手として出場してきただけに、自分を責める言葉しか出てこない。

 ウェート場内を流れるBGMが次の曲に変わった。流れてきたのは安室奈美恵の「Don’t wanna cry」。「うわぁ。なんか今の気分でこの音楽…染みるわぁ」がっくりと頭を下げた。「自分の野球の話してると暗くなる」

 試合数はこなしてきた。それでも球団から補強という形で毎年“挑戦状”を突きつけられる。

 「チームが勝たんとあかんと考えたらそう(補強)するしかないんじゃないですか。僕がやっぱり力無いし、物足りないしっていうのがあるから」。

 ファンを魅了する爽やかな笑顔の裏で、もがいている。「さみしなるんですよね、家で一人じゃないですか…」。試合が終わって戻った都内のマンションの自宅。考えることは結局、野球のことになる。

 「何してんやろ、今日の試合ダメだったしなあ、って寝付けない。シュンとなって、は~ってなって。コテン、と気持ち良く寝たことなんてない」

 ぐずぐずと考えていると知らない間に寝入り、そして朝を迎える。寝起きの機嫌はすこぶる悪いらしい。「朝起きたらだるいし、あぁまた球場行かないといけない、って」。

 逃げる場所もない。試合は続く。車を走らせ、球場にたどり着く。そして―。「カラ元気。カラ元気。逆にそういうテンションにしんと、体動かん。アホにならんと。そうじゃなきゃ、保てない。心、病んでますかね?」

 ギャップが怖い。ある日の現場。ゴム製のゴキブリのオモチャをポケットに忍ばせていた。ヒョイっと投げて、驚かせて大笑い。小道具まで使って、場を和ませるほどの男だ。

 精神的に、きっと無理をしている。もっと自分に正直に、周囲に気遣ってもらっても良くないだろうか。「ダメでしょう。そういう立ち位置にいないっすもん。我を通して行き過ぎたら立っていけないでしょ。そりゃ、上に立ちたいですよ。僕、レギュラー取ってないし、そういう立場になっていきたいと思ってるんで」。

 ニット帽をかぶり、長袖に着替えた。室内練習場の空気は、ひんやりと体に染みた。バットを手にした。

 「意志がすぐ曲がる。すぐ覆される。でもそれって自分に自信がないから」。ウィークポイントとされる打撃のことだ。

 規定打席に到達するようになった16年から、打率は2割4厘、2割6厘、2割1分9厘と低迷を続ける。

今季から4年ぶりに捕手に復帰する阿部慎之助が、01~14年の正捕手時代に通算打率2割8分7厘だったことを見れば、どれほど劣るかはわかる。

 打席に立つと、3ストライクの勝負。「2ストライクと追い込まれたら、三振したくない。怖い、出来ないって、気持ちになるんですよ」。それで自分の打撃の形を崩して、球を当てに行き、結果が出ない。

 マシンから放たれるボールを打ち返し続ける。乾いた音が室内練習場に響いた。

 「これいいね」他の人がやっていることは、とりあえず試す。両腕が脇から離れないように、上半身をチューブで固定してバットを振った。

 ウェートトレーニングを変えたのも、打撃力アップを狙ったもの。12月中は一人、これまで行ったことのない都内のジムに足を運び、下半身強化を目指した。

 戻ったウェート場。鏡の前で、仁王立ちした。「体、少し大きなったでしょ」ちょっと胸を張った。

 自分の打撃とは何なのか―。下半身の大事さを改めて考えたのもその一環。「でもそんなんで打てたら、みんな苦労してないですけどね」

 自分の中で欠けているピースを埋める正解はまだ見つからない。

 「けど、やってみるしかないんで、やってみる。取り組んでみる」

 このオフに自主トレを行ったのは、自身が在籍した社会人チーム、日本生命野球部の施設。寮の食堂で中休みの食事をとった。オムレツにはたっぷりのケチャップ。明太子をのせた山盛りのご飯。おいしそうにほおばる。古巣の面々が集うランチタイムでは、自然と顔がほころんだ。

 「やっぱり、球場行くと、後輩とかもいっぱいおるし、なんか『よし、頑張ろうか』ってなる。やっぱり野球が出来ること、幸せですから。それだけは、思ってるんです。好きっすよ、野球は。野球が好きだから、だから頑張るよ」。

 古巣のコーチから、突っ込みが入った。「「頑張る、って言うな。頑張るのはプロ野球選手として当たり前なんだから」

 厳しい言葉ばかりが浴びせられる。だからなおさら、何を言うかも困ってしまう。 「自信がある、って言え?いや、それは言えない。それ今言ったら、ただのアホです」

 腹ごしらえが終わると、すぐに動き出した。「キャッチボールをすると、テンションがバリ上がってくる」。白球なしでは生きていけない。

 19年シーズンには、炭谷、阿部といった大きな壁を越える必要がある。試合に出られないという試練が待ち受けているかもしれない。

 「人間、我慢も必要ですからね。我慢と忍耐。それに、試合に出なければ打率も下がらないっす」

 おどけてみせたが、真新しい緑色の練習用のミットを手にすれば、自然と声に張りが出た。

 「これだけは自信がある、っていうものはない。でも、負けたくないなというのは、そりゃもちろん持ってますよ。勝負は挑んで行きたい」

 両親のいる実家から通い続けた自主トレの日々を終えた。都内に戻って、いよいよキャンプインに向けて宮崎に向かう日を迎えた。

 1月27日。イケメンながら「全く自分はオシャレじゃない。なんでもいいっしょ」と洋服などには無頓着な男。事前に、この日に着るスーツをチェックするワケもなかった。

 それでハプニングは起こった。クローゼットから出したスーツのズボンに足を入れた瞬間に、焦った。「入らへん」。

 無理やり足を入れて、ジャケットを羽織った。ズボンの折り目は、伸びて広がり、ジャケットのボタンは今にも飛びそうだった。

 「パンパン」。鏡に映る自分のスーツ姿に苦笑いしながらも、トレーニングの成果を実感した。増えた体重2キロは、体のたくましさに変わっていた。

 2月1日。キャンプイン。

捕手で1軍に名を連ねたのは、阿部、炭谷、そして小林だった。

 「自分に勝たないと、まずは。自分の成績次第。(炭谷)銀仁朗さんも来て、それで今年試合数出られたら、そらちょっとはレギュラーって思えるかな」

 まだ見たことのない景色を見るために、自身と闘う。小林の2019年が始まった。

      (柳田 寧子)

巨人

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