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クラブに初タイトルをもたらした川崎・鬼木監督がチームに注入した闘争心と守備の意識

2017年12月14日16時0分  スポーツ報知
  • 川崎市庁舎での優勝報告会であいさつする鬼木監督(手前)

 大逆転で2017年のJ1を制覇した川崎を語る上で、欠かせない人物がいる。鬼木達監督(43)。コーチから昇格した1年目で、創立21年目のクラブに悲願の初タイトルをもたらした。

 リーグ初制覇の歓喜から3時間後。鬼木監督は1人でコンビニに居た。興奮冷めやらぬ等々力陸上競技場でテレビ局や新聞社などの取材が分刻みで進んでいたが、指揮官は合間を縫って最寄りのコンビニに車を走らせた。目的はカップ麺の購入。「優勝したからといって、急に豪勢な物を食べたくなるわけじゃないしね」。誰もいなくなったロッカールームでラーメンをすすり、一人で“勝利の晩さん”を堪能した。

 5シーズン率いた風間八宏前監督からバトンを受けた。「ボールを渡さなければ攻められない」と前任者は超攻撃的な戦術を構築。16年には第1ステージ2位、天皇杯準優勝。新監督に与えられた唯一のミッションが「タイトル獲得」だった。クラブの悲願を背負った新人監督は「監督になったからといって、急に自分の実力が上がるわけではない」と等身大を貫いた。

 ヘッドコーチを務めていた15年から練習試合の指揮を任され、選手を叱咤激励し、相談役も務めてきた。選手との距離感は近く、みんな「オニさん」と慕っている。大島は試合直前までパス交換するのが習慣。「オニさんと蹴っていると、落ち着いて試合に入ることができる」と信頼していた。鬼木監督はスタッフにも気さくに接し「コーチ室の方が居心地がいい」と監督室はほとんど使わず、コミュニケーションを心掛けた。休憩時には自分でジュースを買い込み、縁の下の力持ちたちをねぎらった。クラブハウスの駐車場に選手の高級外車が並ぶ中、「俺のスーパーカー」と庶民的な国産車を愛用した。

 一方で、勝負の鬼と化した。宮崎キャンプ初日に「俺たちでクラブの歴史を変えようぜ!」と号令をかけた。鹿島6年、川崎8年の現役時代で培った「相手が自分よりうまくても球際を激しくいけば何とかなる」を指針とし、闘争心と守備の意識を注入。「全員に当事者意識を持たせる」ため主力組とサブ組の垣根なくし、同じ強度のメニューを課した。さらに、分析面を強化しようと、フィジカルコーチとスカウティング担当を招へい。「飲んでいては仕事にならない」と飲酒を控え、早朝5時からの映像分析も日課になった。地道な努力が実を結び、川崎は「いい時に大勝」するチームから「悪い時にも粘って勝てる」集団に進化した。

 優勝決定の瞬間から、庄子春男GMの電話には祝福のメッセージが殺到。宮城工サッカー部の同級生だった鈴木満GMや椎本邦一スカウト部長を始め、鬼木監督の“古巣”で優勝を争った鹿島関係者からの連絡も多かった。彼らは「おめでとう」と祝福した後、一様に「鬼木にもよろしく」と言葉を添えた。数年前、鹿島は鬼木氏にコーチ就任を打診した。国内19冠の鹿島も、指導力を高く評価していたのだ。

 「唯一やり残したことは、タイトルを獲れなかったこと」。そう宣言し、鬼木達は07年に現役を引退した。その日、ファンが掲げた横断幕の「鬼木はフロンターレの宝」というメッセージは10年後、初優勝と共に証明された。リーグ優勝から3日。Jリーグアウォーズに出席した指揮官は「リーグ優勝の喜びよりも、ルヴァン杯やACLで負けた悔しさが込み上げてきた」と心境を語った。川崎の攻撃性に鹿島の勝負強さを加え、フロンターレに隙はなくなった。初タイトルは常勝軍団誕生への序章だ。(記者コラム・田中 雄己)

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