ハリル騒動受け日本人路線、02年日韓W杯躍進例に五輪兼任に着地…森保監督決定の経緯

スポーツ報知
笑顔でポーズをとる(左から)関塚技術委員長、森保新監督、田嶋会長

 日本サッカー協会内には4月のハリルホジッチ監督解任以前から、22年W杯への道は日本人監督に託すべきだとの声が多かった。有力案が、東京五輪世代を指揮する森保監督のA代表との兼任だった。

 02年日韓W杯代表を指揮したトルシエ氏は、五輪代表やU―20代表など世代別代表も兼任した。00年シドニー五輪で8強入りし、代表の半数にあたる9人が2年後のW杯にも出場した。W杯はMF小野伸二、稲本潤一ら黄金世代の活躍で日本史上初の決勝トーナメント進出。協会はA代表と同じ戦術で戦い、選手の特徴も把握しやすく、世代交代がスムーズでチームの強化につながった兼任の長所を評価。加えて、ハリル氏と選手の信頼関係が薄れた点も受け、日本人同士のコミュニケーションも重視した。

 西野朗氏の監督就任後に開かれた5月の技術委員会では、ロシアW杯後も日本人路線を継続することを確認した。だが、ある委員から「幅広く外国人指導者も見るべきだ」と意見が出たことにより、リストアップを開始。ドイツ、米国代表監督を歴任したクリンスマン氏が浮上した。また、ロシアW杯敗退後、フランス人のベンゲル氏とモスクワで接触。過去にJリーグ名古屋を指揮するなど、日本サッカーを知る名将は昨季限りで22年間率いたイングランドの強豪アーセナルを退団したタイミングで話し合いを持った。だが、両者とも折り合いはつかなかった。

 技術委員の中には「来年1月まで待っては」と日本のシーズンオフや欧州の冬季中断にあたる期間まで暫定監督を置く意見もあったが、9月にチリとロシアW杯後初の親善試合、1月にアジア杯が控える事情も考慮。7月中に決めたいという田嶋会長の意向もあり、当初描いていた森保ジャパンの誕生に至った。

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