サッカー元日本代表DF加地亮さんがカフェ店員に“就職”「ガチで働いてます」

スポーツ報知
サッカー元日本代表からカフェ店員に転身した加地さん。妻がオーナーの「CAZI cafe」で、多い時は週5日働く(大阪・箕面市で=カメラ・恩田 諭)

 昨年11月に20年間のプロ生活にピリオドを打ったサッカー元日本代表DF加地亮さん(38)が大阪・箕面市のカフェに今年2月、“就職”した。自らが取締役を務める会社が運営し、妻・那智さんがオーナーを務める「CAZI cafe」の店員だ。サッカー解説者やイベント出演も行っているが、多い時は週5日カフェに勤務。豊富な運動量で右サイドを疾走したサイドバックは、第2の人生でも休むことなくひた走る。(取材・恩田 諭)

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 今年2月から「カフェの店員」となって約7か月。爽やかな笑顔は変わっていない。日本を代表する右サイドバックはカフェでも忙しく動き回っていた。

 「(現役の時と生活は)大きく変わってますね。(解説などの)自分の仕事がない時は、週5日働いています。(ファンから)『ホンマに働いてるんですね』ってよく言われる。そんなに働いてないんでしょ、って感じでみんな思ってるんですけど、ガチで働いてますよ(笑い)」

 今でこそ手際よく仕事をこなすが、やはり“社会人1年目”の苦労があった。

 「何もできなかったですね。それまで働いたこともないし、アルバイトもしたこともないから、お酒の作り方もわからない。Jリーガー1年目みたいな感じ。(記者さんが)スポーツ新聞に入社した1年目と同じですよ。とりあえず何したらいいですかって先輩に聞いて。悔しいから必死に(仕事を)覚えてやろうって。そうやって仕事やってたら、『加地さんに会いに来た(のが目的だった)けど、おいしいからまたご飯食べに来ます』って言われてめっちゃうれしかった」

 昨年11月25日、J2岡山で20年間務めたプロサッカー選手からの引退を発表した。

 「翌年のことを考え始めた時に、1年間妥協なく、自分の私生活からサッカーに対してフルで注げるか、っていったら、注げないのでは、って疑問がわいた。普通だったらこのくらいの期間を、ケガ明けで練習やっていけば戻っていく、という感覚が戻っていかなかったっていうのも理由の一つですね」

 小学校1年生でサッカーを始め、高校は名門の滝川第二で高校総体、高校選手権にも出場し、98年にC大阪に加入した。

 「うちの親はプロになるの、反対だったんです。会社に入って9時(出社で午後)5時(帰宅)みたいなサラリーマンがいいんじゃないかと。プロになってなかったら(社会人で)サッカーしながら働けたらって感じでしたね、きっと」

 反対を押し切って入った20年間のプロ生活では、世界ユース選手権準優勝に貢献した。クラブでもACLを始め多くのタイトルを獲得した。

 「どれが一番良かったかっていうと…。一瞬パッと思い浮かぶとすれば(G大阪時代の08、09年度の)天皇杯の決勝。元日にサッカーやれるのは気持ちいいですね。違った新鮮さがあった。本当に独特。日本の中でたぶん2チームしかサッカーやってないと思うんです。アマチュアでもその日はやってないはず。だから本当に幸せだなって感じました」

 日本のサッカー界は通常、天皇杯で負けると1年のシーズンが終了する。負けたチームは続々とオフに入り、旅行したりする選手も多い。

 「まあ、休みたいって気持ちもありますけどね。休んでみんなで旅行に行ってとか。それが元日まで行ったらね…。でもスケジュール組めないですよね。どこで負けるかわからないから(笑い)。だからとりあえず次の日(1月2日)に予約とっておいて、すぐ次の日に飛んで。(優勝した)その日は騒いで、翌日からは家族サービスですね」

 J1、J2合わせて国内5チーム、海外では北米メジャーリーグサッカーのチバスUSAでもプレーした。日本代表でも64試合に出場。数え切れない出会いもあり、経験もした。それは今に生かされている。

 「普通の会社もサッカーと一緒なんですよ。会社って上司いるでしょ? 僕らにも監督がいる。会社には部下がいる。サッカー選手にも後輩がいる。企業なら会社が上場していくとか、俺らは強くなっていくって目的がある。社会もサッカーとすごい似てるなって思う。例えば、生きていければいいやって感じの人はそれなりの地位でしかいれない。サッカーもJ2、J3でやる人も多いけど、極めていく人はJ1だったり、代表、海外って、努力すればするほど(相応のものが)ついてくる。ここも一緒。オーナーもいるし、その下で働いている人も。皿洗いしている俺もいる。皿洗いっていっても脇役みたいなもの。でも、脇役も必要。サイドバックみたいなものですよ」

 現役時代は右サイドを疾走する姿が印象的だった。激しいアップダウンに、正確なクロスに、豊富な運動量が特徴だった。

 「皿洗いとかやってる姿を見られても、全然恥ずかしいとか何とも思わないですよ。どんなちっちゃな仕事でも、脇役でも一生懸命やっている人ってすごいと思う。何の仕事でも人の役に立っているんですから」

 G大阪を初めとするJクラブ、日本代表では多くの観客で埋め尽くされたスタジアムでプレーした。華やかな職業だった。だが今は華やかさはないが、生きがいも感じている。

 「いっつも底辺だと思ってるんです。自分が。一番底の人間だと思ってるから、サッカー選手でも一番下手、底辺だから一番頑張らないとっていう危機感がありました。代表に入った時もそこからもっとはい上がっていかないとっていう考え方でした。いろんなところを向上する余地はありますよ」

 古民家風のおしゃれなカフェにはアルバイトも含めて12人程度が働いている。故郷の淡路島の食材を中心に作るメニューが中心。ランチタイム(午前11時~午後2時)、カフェタイム(午後2時~午後4時半)、ディナータイム(午後5時半~午後9時半)と多くの人が訪れる。お客さんももちろんだが、気にしているのは従業員の労働環境だ。

 「スタッフが働きがいがあって、ここで働きたいって思うようになれば、自然に(お客さんの数は)ついてくる。お客さんを一番気にして身内をおそろかにしたら、そこの仕事にミスも絡むし、雑になる。サッカーでもちょっと気を抜いて大丈夫だろうって思った瞬間に失点してしまうから」

 全体で約30人が入るカフェには離れもある。もちろん車での来店も見据え、駐車場もある。

 「(お店の売りは)和の雰囲気ですね。雰囲気が家庭的な感じで。お子さん連れのお客さんが昼は多いし、夜は夜で違った客層が。年齢層は幅広いです。おじいちゃん、おばあちゃんも。温かい感じです。昔ながらの古民家を生かしたアットホームな。隣(離れ)は畳の部屋なんで、そこにおもちゃとか本とかも置いていて、お子さんに遊んでもらえます。隣はお子さん連れの家族が使っていますね」

 現役時代は午前4時半に起床し、5時か5時半にはクラブハウスに向けて出発。午前練習しかないときでも、午後は個人で契約するトレーナーとトレーニングやピラティスを行い、ストイックな生活を続けてきた。

 「(今は)カフェ(でシフトが)入っている時は午前9時に出勤して、準備して。昼ご飯は忙しいときは午後3時から4時の間に食べます。その後1回(自宅に)休憩しに帰ります。その後は忙しい時は(ディナータイムが)午後5時半から入って最後まで。夜は間では(夕食は)食べないですね。(店終了後に)片づけ、掃除して(帰宅は)午後11時、午前零時ですね。ご飯はその後にちょっとしたものを食べて。最初はじんましんみたいなの(体に)出ましたもん。生活のリズム変わりすぎて。仕事も全然違うし、接客業じゃないですか。気を使うことが多くて、精神的にも…。その後、治りましたけど。あー、こういうこともあるんやなーって。ストレスなんだなーって。現役のときは風邪も引かなかったし、(練習を)休むこともなかったから」

 カフェはG大阪時代の11年にオープン。今年2月から夫婦でそろって働き出した。老若男女が集い、評判の人気店。自身のセカンドキャリアは順風満帆だ。

 「(今後)サッカーの指導者の道は全然考えていないですね。ただ、後々、淡路の方に帰ることを考えています。妻の実家が民宿なんで、そこを継ぐことになると思います。それが何年後になるのかわからないですけど」

 現在は月曜日が定休日。だが、それ以外は仕事を忙しく続けている。

 「月曜日だけは休みですけど、今だったら子どものサッカーを見に行ったりして1日終わっちゃいますね。自分の時間は確保できないです。自由な時間ができるとしたら? ゴルフ三昧したいですね。全然行ってないです。行く時間ないですもん」

 長いサッカー人生を一生懸命駆け抜けてきた。それは舞台を移しても変わらない。真摯(しんし)に取り組むまなざしは輝いていた。

 「その時、その時を後悔なく生きていけるようにしたいです。同じ時間を過ごすなら、精いっぱいやりたいし、精いっぱい生きたいし。どう一日を過ごそうかとか、充実した一日をどう過ごすか、をいつも思い描いています。一日一日充実して過ごせなかったら大きな目標をつかまえられないですから。積み重ねが勝手にその(目指している)目標に到達するという考え方ですね。だからその日その日で『よし今日はやれた。次は明日だ!』って思ってます」

  現在はサッカー解説者も務める。9月に日本代表は森保一監督が指揮をとり、新たに船出する。

 「監督いらずのチームになって欲しいですね。監督がやろうとするサッカーを誰が入ってもできる理解度があって、コミュニケーション取りながら、そのサッカーをどう体現するか、選手が勝手にやれるぐらいの熟成度が欲しいですね。MF堂安(フローニンゲン)が化けそうですね。FW宇佐美(デュッセルドルフ)にも頑張って欲しいです」

   

 ◆加地 亮(かじ・あきら) 1980年1月13日、兵庫県南あわじ市(旧西淡町)生まれ。38歳。滝川第二高卒業後の98年にC大阪加入。その後は大分、F東京、G大阪、チバスUSA(米国)、岡山で活躍し、17年末に現役を引退したDF。J1通算300試合3得点、J2通算199試合4得点。99年には世界ユース選手権(現(U―20W杯)で準優勝。日本代表として国際Aマッチ64試合2得点。2006年ドイツW杯にも出場した。家族は妻と1男2女。177センチ、75キロ。

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