無償で貫いた20年の“湘南愛”名物会長が手にしたルヴァン杯Vの重み

スポーツ報知
ルヴァン杯を制し抱き合って喜ぶ湘南・チョウ監督(左)

 JリーグYBCルヴァン杯決勝が27日、埼玉スタジアムで行われ、湘南が、横浜Mを1―0で破り初優勝を果たした。湘南の国内主要タイトルは、平塚時代の1994年天皇杯以来で、湘南に名称を変更した2000年以降では初。山あり谷ありの道のりを歩んできた名物会長、真壁潔氏(56)はクラブに関わるようになってから約20年、給料をもらうことなく、クラブに情熱を注いできた。

 真壁氏の人生が大きく変わったのは1999年10月7日だった。父親の経営する湘南造園の仕事で香港滞在中の真壁氏の電話が鳴った。知人の衆院議員・河野太郎氏(55)からだった。「ベルマーレのために作る新会社に力を貸して欲しい」。まさに青天の霹靂(へきれき)。この年限りで親会社のフジタが撤退し、存続の危機に直面しながら市民クラブとして再出発する平塚(当時)の立て直しを頼まれたのだった。

 平塚商工会議所青年部には所属にしていたものの、仕事場は都内で「幽霊だった」が98年、青年部創立10周年を記念してJリーグがある各ホームタウンの関係者を集めた「Jリーグホームタウンサミット」開催に尽力し、クラブとの接点が生まれた。親会社フジタが撤退を表明していた地元クラブに対しての「存続運動は大変そうだからちょっと手伝うか」という軽い気持ちが始まりだった。99年も活動を続けると、Jリーグ関係者とのパイプも自然と太くなり、クラブ存続を望む河野氏に白羽の矢を立てられた。

 「約束は半年。開幕までは手伝うよ」。

 短期間の約束で奔走し、クラブは湘南ベルマーレに名称を変更してJ2の開幕を迎えたが、河野氏は議員活動で多忙だった。そこで真壁氏は「週3回ぐらいなら手伝える」と助け舟を出した。これが“間違い”だった。「4月の役員会に出たら新しい役員のところに勝手に僕の名前があった」。一度は辞退したが、周囲の猛プッシュに渋々と受けざるを得なかった。

 ここからクラブとの関わりはどんどん深まった。市民クラブ3年目に入るとスポンサーも減るようになり、「無責任に辞められなくなってしまった。新規も見つけないといけない。いつしかフルで働かないといけない状況になってしまった」。スポンサーの意向もあり2004年には社長就任。「1年間だけやると。その間に次の社長を探してくれと言ったんだけど、毎年の役員会になっても誰も次期社長を探すそぶりも見せなかった。じゃあ、なんで自分から辞めなかったかというと、負債も増えていたし、自分が辞めたら降りるというスポンサーもいたので」。持ち前の責任感もあり社長業を続けるしか選択肢はなかった。

 次は「10年を区切りにJ1に昇格しなかったら辞める」と考えたが、2009年に悲願のJ1昇格が決定。「その次は債務超過を出したら辞めるとなった」が、12年に就任したチョウ・キジェ監督のもと、湘南は育成力を発揮し、少しずつクラブも軌道に乗り「辞表を出せなくなってしまった」。いつしか持ち前のバイタリティーと発言力でJリーグの名物社長となり、14年には会長に就任した。

 信念はクラブに関わった当初から不変だ。それは給料をもらわずに働くということ。それは約20年たった今でも変わらない。

 「最初受けるときにお金はもらわないと言ったからね。半年だけだと思っていたし、お金をもらったら辞められなくなるから。幸いオヤジの会社から給料はもらっていたし。その後、社長になったけど(クラブとして)借金をしている人間が給料をもらうべきじゃない。それに、オヤジからは『地域への貢献と言って世の中にはお金をもらう人もいるが、本当にお前が地域のためと思うならお金をもらうな』と言われたのでね」

 湘南の年間予算約15億は、J1クラブの平均約40億円の半分以下。長年、資金不足から主力を上位クラブに引き抜かれるなどして4度のJ2降格、大口スポンサーの不祥事などもありクラブは何度もピンチを迎え、何とか乗り越えてきた。今年4月、更なる高みを目指すためRIZAP(ライザップ)グループの傘下となり3年間で10億円以上の支援を約束されたが、予算はまだJ1平均には及ばない。クラブのトップとして苦労は続くが、それ以上の喜びがある。

 「子供たち、サポーターの笑顔は最大のやりがい。湘南というエリアにベルマーレがなかったら笑顔はどうやって作る? 存続危機の頃から、原点を同じで笑顔を作ること。その量がだんだん増えてきた。喜怒哀楽を素直に表現でき、40歳、50歳になっても人前で泣ける世界を作れるというのは、今の世の中ではなかなかない。それがJリーグの価値なんだ。ここまで失敗の連続だったけど、その都度、たくさんの人に助けられてきた。今回、ウチが勝ったことで下の方で頑張っているクラブにも何かパワーを与えられたかも。『失敗を怖がるな』と無責任に言える。失敗を怖がらずに、日々の活動をちゃんとしていれば助けてくれ人がいる」

 資金力があれば有利にはなるが、必ず勝てるわけではない。「うちはバルサやレアルじゃない。25年に1回でも地域に恩返しできたのなら、それは最高の出来事」。真壁氏の地域貢献への思いとクラブに対する情熱が結実した平成最後のリーグ杯だった。

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