W杯4度の日の丸守護神・川口能活、指導者への思い「攻撃的なGKを育てたい」 

スポーツ報知
飾られた自身のユニホームを眺めながら、花束を手に引き揚げる相模原・川口能活(カメラ・竜田 卓)

 今季限りでの現役引退を表明したJ3相模原の元日本代表GK川口能活(43)が14日、神奈川・相模原市内で引退会見に臨んだ。63社、130人の報道陣が集まった中、引退を決断した理由や指導者への思いを語った55分間を、2010年の磐田時代から担当した田中雄己記者が「見た」。

 かすかに充血した目で登壇した。川口は控室で、報道陣で膨れ上がった会見場の写真を見た。「こんなに集まってくれて」。約3分間、思い切り泣いた。涙を拭い、入った会見場では「今日は最高にうれしい日」と感極まるも涙はこぼさず、何度も頭を下げた。

 輝かしい栄光におごらず、「今」を生き続けた。4月。開幕4戦連続フル出場したが勝てず、控えに回った。その途端、連勝した。「本当に落ち込む」と昼食の箸を止めた川口に、「これだけのキャリアがあっても、まだそう思いますか」。失礼を承知で聞くと、「今をより良くしたいから、続けられるんだ」と返ってきた。

 現役25年間で「誰よりも特別」というのはGK楢崎正剛(42)。10年以上、代表の守護神の座を競い合った。「若い時はギスギスしたものはあった」と明かすが「年齢を重ね、重圧も分かち合えるようになった。正剛がいたからこそ、今がある」。認め合うライバルと高め合った。

 96年アトランタ五輪でブラジルを破ったマイアミの奇跡、04年アジア杯・ヨルダン戦でのPK戦、4大会連続W杯出場と伝説を刻んだが「つらいことの方が多かった」。09年9月に右脛骨(けいこつ)骨折、12年3月には右アキレスけん断裂。14年以降はカテゴリーも変わった。

 J2の岐阜ではマンスリーマンションに一人暮らし。練習後は自家用車の裏で着替え、スーパー銭湯で汗を流した。J3の相模原では電車で通い、人工芝を走り、敵地へのバス移動は6時間を超えることもあった。でも、辞めなかった。

 環境が変わったことで、「サッカーが好きだと再認識した」。10月下旬。クラブに引退する意思を伝えた。「余力はあるが、悔いはない」。光も影も知るからこそ伝授できるものは多い。「攻撃的、広い守備範囲、失敗を恐れない。これが理想のGK像。自分は近づけなかった。そういう選手を育てたい」。25年間自ら手洗いしてきたキーパーグラブを置いた後も、能活は「今」を生きる。(田中 雄己)

 ◆川口 能活(かわぐち・よしかつ)1975年8月15日、静岡・富士市生まれ。43歳。清水商高(現・清水桜が丘高)3年で全国高校選手権優勝。94年に横浜Mに入団し、97年にA代表デビュー。ポーツマス(イングランド)、ノアシェラン(デンマーク)を経て2005年に磐田に移籍。J2岐阜を経て、16年相模原に移籍。国際Aマッチ116試合出場。J1通算421試合、J2通算43試合、J3通算42試合出場。

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