【浦和】浦和一筋17年、今季限りで引退する39歳平川が現役を続けられたこだわりとは

スポーツ報知
引退会見する浦和MF平川忠亮

 今シーズン限りで現役を引退するJ1浦和のMF平川忠亮(39)が28日、さいたま市内での練習後、17年間のプロ生活などを振り返った。

 清水商(現清水桜が丘)から筑波大を経て、2002年に浦和に入団した。浦和一筋17年、サイドの職人としてJ1通算335試合9得点を重ねた。「(引退を)意識し始めたのは2年ぐらい前です。試合に出る機会が減っていくなか、自分でもパフォーマンスが落ちていくのを実感していました。次を色々考える自分がいた。もちろん、試合に出る準備はしてきましたけど、今年、そういう決断にいたりました」。今季はリーグ戦2試合の出場にとどまっており、ユニホームを脱ぐことを決めた。

 J1制覇(2006年)をはじめ、2度優勝した日本人は浦和MF阿部勇樹と2人だけというアジア・チャンピオンズリーグ(2007年、2017年)、そしてJリーグ杯(2003年、2016年)、天皇杯(2005年度、2006年度)と主要タイトルはすべて獲得している。ただ、「大事なのは次の試合。優勝メダルは部屋に飾らないようにしている。常に次の試合、次のタイトルをと考えてやってきた」と17年間こだわってきたことで現役生活が延びたという。また、「常に競い合うライバルがいた。毎日、代表クラスの選手と練習するのは学ぶことばかりだった。仲間たちのおかげでここまで長い年月やってこれたと思います」とチームメートに感謝した。

 思い出に残っているのは、2007年10月24日のACL準決勝第2戦・城南(韓国)戦。PK戦にまで突入した激闘で、平川は5人目のキッカーとして決勝進出のゴールを決めた。「苦しい試合でした。城南は素晴らしいチームでなんとかPKで勝つしかないという試合でした。都築さん(GK)が1つ止めてくれたので、外してもまだPK戦が続くという状況のなか蹴らせてもらった。あの瞬間は自分でも覚えていないくらい感情が爆発しました」。苦しかったのは副キャプテンを務めた2011年、甲府とJ1残留争いを繰り広げた時だったという。

 指導者にも恵まれた。入団時の指揮官だったハンス・オフトさんを「お父さんのようだった」と言う。「オフトさんはサッカー以外で怒られた記憶が多いです。ちゃんと飯は食べているのか? とか言われ続けました。1年目にオフトさんに指導してもらったのは非常にいいタイミングで、いい出会いでした」。また、ミハイロ・ペトロヴィッチ元監督(愛称はミシャ、現札幌の監督)の存在も大きい。「30歳を超えて、また新しいサッカーに出会えた。毎日の練習が楽しかった。考えないといけないサッカーで、少しでもぼーっとしていると追いつけない。そこでサッカーが楽しくなった。ここまで続けられたのは、30歳のタイミングでミシャさんが来てくれて指導してくれたことが大きかった」。

 今後はクラブに入ることが決まっており、フロントとも話し合いを進めている。「浦和にはますますいいチームに成長して欲しい。17年の経験を生かして、いいチームにになるように自分の力を注いでいきたいです」。12月1日の最終節のホーム・F東京戦後には、今後の事も含めてサポーターにあいさつする。

サッカー

×