関塚技術委員長、引退の報告を受けた小笠原からの電話で改めて認識「サッカー界に貢献してもらいたい人間」

スポーツ報知
小笠原満男

 日本サッカー協会の関塚隆技術委員長(58)は27日、今季限りでの引退を発表した鹿島MF小笠原満男(39)について、「本当にお疲れさまでしたというひと言です」とねぎらった。

 関塚委員長は26日午後、小笠原から電話で引退の報告を受けた。「決めましたという話だった。まだ1年、2年やれるんじゃないのとは言ったけど、色々なことを考えて決断しましたって。選手が引退を決断するのは、まだ出来るんじゃないかという思いもあり、なかなか決断が付かないところもあるなか、決断する。しっかりと尊重してあげたい。それだけの事をやってきて、続けないということだと思うのでね」。電話口とはいえ、決断した思いを感じたという。

 関塚委員長は鹿島のコーチだった1998年、小笠原が大船渡高校卒の新人として入団してきた。「6年間一緒に戦った」。川崎の監督になるまでの6年間、コーチとして、代行監督として指導した。「チームを離れても、年に2、3度は電話などでも話していた」。ロンドン五輪代表監督として、現在の技術委員長として鹿島の試合を視察すると、小笠原があいさつに訪れるなど会場でよく話した。千葉の監督時代、鹿島と練習試合した時は「いつか一緒にやりましょう」とも言われた。思い入れのある選手の一人である。

 「最初はすごく寡黙で表現の下手なプレーヤーだったけど、イタリアに行き、帰ってきた時は、プレーヤーとしても人間としてもすごく成長したなと思いました。その時は(私は)川崎にいて、厄介なのが(鹿島に)帰ってきたなと思いました。チームへの思いも強く、自分のプレーとチームのためのプレーがすごくバランスが取れたプレーヤーに成長したなと感じました。素晴らしい人間性を持ったプレーヤーに成長したと思いました。柴崎岳らほかのプレーヤーが成長できたのも、彼が横にいたのが非常に大きいんじゃないのかなと思います」。

 引退報告の電話では、小笠原から鹿島でアジア・チャンピオンズリーグ初優勝し、クラブW杯で感じたことなども伝えられたという。小笠原を「鹿島のレジェンドとして一時代を築いた男、代表でも一時代を築いてくれた人材」とリスペクトする。教え子から電話で熱い思いを聞かされ、改めて認識した。「次のところで、しっかりと、クラブなり、サッカー界なりに貢献してもらいたい人間、人材だなと思います」。そう願っていた。

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