【鹿島】「小笠原」という男 誰よりも「チーム」のために 内田記者が見た

スポーツ報知
鹿島・小笠原満男

 昨年9月、ルヴァン杯敗退が決まった仙台戦後、小笠原はロッカールームの前でGK権純泰(クォン・スンテ)が着替え終わるのを待っていた。通訳が到着すると、一生懸命に伝え始めた。「スンテの行動は間違っていない。申し訳なかった。(鈴木)優磨が悪い。でも、反省しているから許してやってほしい」

 試合後のあいさつ、握手を怠った鈴木は、権から「お前だけが悔しいんじゃない」と怒られ、悪態をついた。小笠原は後輩のことを謝りに行ったのだった。全北現代(韓国)のレジェンドだったGKが一念発起し、来日して1年目。「チームメートからあんな態度を取られたら帰ろうと思う、と思う。一緒にチームで戦ってほしかったから」と言った。

 若い頃、テレビで「(質問の)意味が分からない」とぶっきらぼうに言った。規律を乱した元ブラジル代表FWエウレルを突き飛ばしたこともある。ジーコ・ジャパンで出場への思いを口にしたら、「国内組VS海外組」という構図の急先鋒(せんぽう)に祭り上げられた。勝負に徹する憎らしいプレーとともに切り取られ、「ヒール」として見られることもあった。

 だが、01年から見続けてきた中でそう感じたことはない。言動をしっかり見れば、小笠原が原因となっているケースは少ない。実際に復興支援へ向かう車に同乗した際には、フル出場した直後にもかかわらず、運転手への配慮から8時間の深夜ドライブで一睡もせずに、話し相手になっていた。チームメートが差別的行為を受けた際には、抗議の先頭に立った。負けた原因を「誰かのせいにしない」は21年、ずっと貫いた。

 引退をチームメートに伝えたのは、全日程終了後の23日。「最後まで自分のことでチームに迷惑をかけたくない」という考えだった。いつも相手からは特大のブーイングを浴びせられ、自チームからは最も頼られた男。17冠を手にする過程で最も大事にしていたものが「チーム」だった。(01~03、06~17年鹿島担当・内田 知宏)

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