【鹿島】小笠原、今季限りで現役引退「ミツオ・イズム」後輩に伝える

スポーツ報知
引退会見で万感の表情を見せる鹿島・小笠原(カメラ・矢口 亨)

 今季限りで現役引退を発表した元日本代表MF小笠原満男(39)=鹿島=が28日、カシマスタジアムで会見した。引退を決意した理由を、後進に道を譲るためと明かし、最後までチームのことを考えるジーコ・イズムを貫き通した。引退後は育ててくれたクラブに恩返しするため、鹿島に関わる仕事を希望。悔しさをバネにし続けたプロ21年を時折、言葉を詰まらせながら振り返った。

 選手として終わる、そのときまでジーコ・イズムを貫いた。一礼をしてから会見場に足を踏み入れたMF小笠原は、表情を変えることなく決断に至った経緯を説明した。「最大の理由はなかなか試合に出られる機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなった」と説明。その上でミスターアントラーズらしい理由を付け加えた。

 「まだまだサッカーをやりたいのが正直な気持ちだが、このチームが好きだからこそ、このチームがさらに強くなっていくために、自分が出場するよりも、もっと若い選手にピッチに立ってほしいと思ったのも一つ。アントラーズから、自分が身を引く時が来たかなという思いで決断しました」

 悔しさをバネにしてきた。思い出に残るゴールを問われると、プロ2年目の99年ナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝柏戦でのPKを挙げた。PK戦の6人目で登場して失敗。タイトルを逃した。ジーコに「PK戦は運じゃない。120分戦い抜いてボロボロの足の状態で狙ったところに強いボールを蹴れないと」と言われ、「インサイドキック一つで、全てが変わる。練習を120%で」と決意した。

 ゴールデンエージ(79年生まれ)の同期に対しても同じ。小野伸二、本山雅志、稲本潤一らタレント豊富な年代で、置いて行かれないように必死にボールを蹴った。獲得タイトル数(17冠)では上回るが、引退する時期が彼らより早く「自分の完敗。最初から最後まで勝てなかった。本当に偉大な選手たちだ」と話した。

 「逃したタイトルもいっぱいある。本当に僕のサッカー人生は悔しい、悔しいの連続」。ただ、悔しさがあったからこそ「ここまでやってこられた」という自負もある。引退後については「鹿島に育ててもらった。恩返ししていきたい気持ちが強くなった」と鹿島に残ることを希望した小笠原。これまでと同様に、チームを思って、第2の人生をスタートさせる。(内田 知宏)

 ◆ジーコの引退 ジーコは1989年にブラジルのフラメンゴで引退したが、日本リーグ(JFL)のプロ化を目指す中で、鹿島の前身、住友金属から91年に獲得オファーを受けて、現役復帰した。同2部だったクラブにプロ意識を植え付けて常勝軍団への礎を築き、Jリーグ開幕翌年の94年第1ステージ(S)終了後に2度目の引退。ジーコは自立しつつあったチームをかんがみ、自ら引退する意思をクラブに伝えたという。鹿島の鈴木満常務によると、これまで自ら引退を申し出た選手はジーコ、FW長谷川祥之(03年引退)と小笠原の3人だけ。

 ◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)1979年4月5日、岩手県盛岡市生まれ。39歳。大船渡高卒業後、98年に鹿島入り。02、06年W杯日本代表。Jリーグで6度のベストイレブン受賞、09年にMVP。11年3月の東日本大震災後、東北サッカー界の復興を目指して活動する「東北人魂」の発起人となり、今も活動を続けている。今季リーグ14試合で無得点。J通算525試合69得点。代表Aマッチ55試合7得点。173センチ、72キロ。既婚。

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