モドリッチがバロンドール!クロアチア人初「夢のよう」 10年独占“2強”崩した

2018年12月5日6時0分  スポーツ報知
  • バロンドールを受賞し、笑顔のクロアチア代表のモドリッチ(ロイター)
  • モドリッチ(ロイター)

 サッカー専門誌「フランス・フットボール」が選ぶ2018年の最優秀選手賞「バロンドール」の表彰式が3日、パリで行われ、所属のRマドリードで欧州CL3連覇に貢献し、ロシアW杯で準優勝したクロアチア代表のMFルカ・モドリッチ(33)が初受賞した。

 クロアチア人選手の受賞は史上初で、旧ユーゴスラビア出身選手としても初。過去10年、ポルトガル代表FW、C・ロナウドとアルゼンチン代表FWメッシの2選手が同賞を独占してきたが、“2強時代”に終止符が打たれた。

 国際サッカー連盟(FIFA)が制定する最優秀選手、W杯での大会最優秀選手に贈られる「ゴールデンボール賞」に続き、モドリッチが権威ある個人賞をトリプル受賞した。W杯と欧州CLという2つの大舞台で輝きを放ったMFは「2018年は夢のような年になった」と感慨に浸った。

 172センチと体格は小柄。派手な個人技や得点力ではなく、豊富な運動量と攻守に堅実なプレーでチームの歯車を動かし続けた。ロシアW杯では、決勝トーナメントに入ってから準決勝まで3試合連続で延長に突入し120分を戦い抜いた。決勝でフランスに敗れたものの、主将として7試合全てに出場し2得点。小国が大国に立ち向かう象徴的な姿が、強烈に支持された。脇役に回ることが多く「子どものころの夢はビッグクラブでタイトルを取ることだった。バロンドールなんて想像もしなかった」。クロアチア人選手として初のビッグタイトル獲得を驚きとともに受け止めた。

旧ユーゴ出身初内戦も経験 少年時代に旧ユーゴスラビアの内戦により、家族で避難民として生活した時期もある。幼少期はプレーする場所もなく、黙々と駐車場でボールを蹴っていたという。「簡単に手に入る成功などない。ここにたどり着くまで、簡単なことは一つもなかった」。生い立ちのつらい経験が、プロとして成長する糧となった。

 1956年に始まったバロンドール。08年から10年間、C・ロナウドとメッシが5度ずつ受賞してきた独占状態に割って入った。元ユーゴスラビア代表MFストイコビッチら、数々の名手を輩出してきた旧ユーゴ出身選手が選ばれたのは史上初めてだ。33歳での受賞は06年の元イタリア代表DFカンナバロと並んで史上最高齢。「歴代の素晴らしい選手たちと肩を並べられて、とても誇りに思う」と、黄金のトロフィーの重みをかみしめた。

 ◆バロンドール 1956年にサッカー専門誌「フランス・フットボール」が創設。当初は欧州の年間最優秀選手賞だった。2010~15年は国際サッカー連盟(FIFA)最優秀選手賞と統合され「FIFAバロンドール」として表彰。17年1月から提携が解消され、別々に選ぶ形に戻った。現在は最終候補30選手の中から日本人を含む世界中の記者による投票でその年に最も活躍した選手に贈られる。

 ◆ルカ・モドリッチ

 ▽生まれとサイズ 1985年9月9日、クロアチア・ザダル出身。172センチ、65キロ。

 ▽経歴 16歳で母国のディナモ・ザグレブの下部組織に入団。18歳でトップ昇格を果たすも、出場機会を求めて2003年から1年間、ボスニア・ヘルツェゴビナのズリニスキに期限付き移籍。荒々しさでは世界有数とされた同リーグを経験し、心身のタフさと激しいタックルをかいくぐる足元の技術を磨いた。英トットナムを経て12年にRマドリードに引き抜かれた。

 ▽代表 各年代別に選出され、06年3月のアルゼンチン戦でA代表デビュー。「黄金世代」として期待され、06年ドイツ大会でW杯に初出場。3度目の大会となったロシアW杯では決勝戦までの全7試合に出場し、1次リーグD組初戦のナイジェリア戦(2○0)では、W杯通算2400点目となる自身初ゴールを決めた。W杯通算12試合出場は、98年大会3位のメンバーで同11試合出場のDFシミッチを抜き、同国史上単独最多。

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