男子バレー代表・菅原貞敬氏、1日4時間猛練習「木の葉落とし」

スポーツ報知
64年10月13日、韓国戦でスパイクを放つ森山輝久(左)。菅原らが奮闘し、バレー日本男子は54年前の東京大会で銅メダルを勝ち取った

 64年大会で金メダルを獲得した“東洋の魔女”の陰に隠れていたが、日本男子バレーも銅メダルを手にした。10チーム総当たりでの争いだったが、ソ連、ルーマニアの優勝候補と対戦する前に日本は1勝2敗。表彰台に立つためには、もう負けられない崖っ縁に追いつめられた。

 「開き直ったんですよ」と振り返るのはピンチサーバーやレシーバーで出場した菅原貞敬(79)だ。それから何とか持ち直し、3勝2敗に盛り返し、ソ連との対戦を迎えた。第1セット、7―13とリードを許したところで、観客席から「菅原、行けー!」という声があがった。元気者でムードメーカー、菅原のことを知っているファンからだった。交代で出場した菅原は、ソ連のスパイクを拾いまくった。「エースが打つコースを調べ尽くしていたのが当たったんです」。13―13と追いつきながら、このセット(当時は15点制)を落としたものの、次のセットからは勢いがつき、逆転勝ち。このあと、全勝で3位の座をつかんだ。

 大会を通して、菅原のネットを越えてから急激に落ちていくサーブ「木の葉落とし」も効果的に決まった。菅原は世界との差を埋めるためにサーブ練習で、1日300~400本打った。練習パートナーがいない時は1人でサーブを打ち、自分で球を拾って、3時間、4時間と打ち続けたのだ。

 「サーブがある競技は、やっぱりサーブだと思うんですよ。だけど、今の日本の試合を見ていると、ここという時にミスしている。100本打ったら95本入るとか、やろうと思えばやれますよ」と自らの経験から訴えた。

 男子バレーは東京の銅から、メキシコ市は銀、そして、ミュンヘンで金メダルとステップアップし、世界の頂点に立った。この東京大会が土台になったのは間違いない。(敬称略、久浦 真一)

 ◆菅原 貞敬(すがわら・さだとし)1939年2月18日、秋田・能代市生まれ。79歳。能代高から東洋レーヨン(現東レ)に入社。東レ九鱗会、全日本ジュニアなどの監督を歴任。ケニア女子の監督として、2000年シドニー大会ではアフリカ勢初の五輪出場。現在は日立総監督。

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