高校ラグビー幻の“決勝戦”〈2〉茗渓学園“エンジョイ・ラグビー”

スポーツ報知
昭和天皇崩御で黙とうする観客

 ◇昭和64年1月7日 大工大高VS茗渓学園

 快進撃で初の決勝進出を果たした茗渓学園のモットーは“エンジョイ・ラグビー”だった。徳増浩司監督は25歳から2年間、ウェールズでラグビーを学んだ。選手としてもプレーしていたカーディフ教育大で、試合に負けた後、「きょうの試合はエンジョイできたか」とチームメートに聞かれ、最初は驚いた。だが、その後、エンジョイとは「自分の力を出し切ること」だということを理解した。

 試合後の茗渓学園の選手たちからは「エンジョイできた」「エンジョイできなかった」という声を何度も聞いた。茗渓学園は中高一貫校で、徳増は80年から中学で指揮を執り、88年から高校の監督に就任した。中学では、ウェールズの公園で中学生が行っていたタッチ・ラグビーを教えたり、世界の強豪国のビデオを見せたりした。

 高校の指揮官となっても、中学時代に指導した選手のため、意思の疎通に問題はなかった。「集中力が保たれる時間」ということで、1日の練習は1時間半。選手の自主性も重んじられ、監督から渡される練習メニューを大友孝芳主将らが取捨選択するほどで、自由な雰囲気が漂っていた。

 他チームが、FWの攻撃力に頼る中、茗渓学園はバックスはもちろん、FWもボールを持つと、パスをつないだ。そのランニング・ラグビーが花園に旋風を巻き起こした。初戦の2回戦・大分舞鶴戦は30―7、3回戦・新田(愛媛)戦は24―18と連破し、迎えた準々決勝の優勝候補、天理(奈良)戦では伝説の「3人飛ばしパス」が飛び出した。

 前半2分、SO赤羽俊孝がバックス3人を飛ばして30メートルの超ロングパス。これが先制トライにつながり、11―9で勝利。「ノーサインでいきなり繰り出した。だけど、前日の自由練習で赤羽は何度もあのパスを投げていたんです」と徳増監督。チーム全体の意識が統一されてのビッグプレーだったのだ。まさに、エンジョイ・ラグビーの本領発揮だった。準決勝の淀川工(大阪)戦も走り回って、32―7。決勝で大工大高と対戦することを決めた。

 報知新聞社の新人記者だった吉田哲也は大会前練習で、茗渓学園の選手たちから「楽しみます」とあいさつされた時の大工大高・荒川博司部長の言葉が忘れられない。

(編集委員・久浦 真一)=敬称略=

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