田中恒成の兄・亮明手記…幼少期強制で空手 格闘一家のプライド守った

スポーツ報知
祖父・健裕さんの遺影を手にリングサイドで観戦する田中恒成の兄・亮明さん(左)と妹の杏奈さん(カメラ・谷口 健二)

◆プロボクシング▽WBO世界フライ級(50・8キロ以下)タイトルマッチ12回戦 ○田中恒成(判定3―0)田口良一●(16日、岐阜メモリアルセンターで愛ドーム)

 WBO世界フライ級王者・田中恒成(23)=畑中=が、挑戦者で元WBA、IBF世界ライトフライ級王者・田口良一(32)=ワタナベ=を3―0の判定で下し、初防衛に成功した。田中は果敢に打ち合い、最大10ポイント差をつけた採点で圧勝。平成最後の世界戦日本人対決を制した。田中の兄で、アマチュアボクシングの昨夏アジア大会日本代表・亮明(25)=中京学院大中京高教=が独占手記を寄せた。

 恒成、よく頑張った。弟が格闘技一家の田中家のプライドを守ってくれました。しっかりコンディションを整えて体重を落とせば、負けることはないと思っていました。僕が昨年6月に結婚した妻と今月2日に挙式した際も、恒成は減量中にもかかわらず、出席してくれてうれしかった。プロの世界の多くの重圧を逃げずに乗り越えていく弟は立派だと思います。

 僕たち兄弟は幼少期から逃げられない環境にいました。若い頃に柔道やアームレスリングに打ち込んでいた父(斉トレーナー)から、僕が5歳、恒成3歳の時に強制的に空手を始めさせられました。今は父に感謝していますが、当時は毎日の練習が嫌で仕方なかった。同級生の家に隠れても父が車で迎えに来る。道場で毎日1時間半の練習後、早く帰りたいのに居残り練習。あれで僕らは忍耐強くなれました。

 僕が中学生になった時に兄弟でボクシングに転向しました。畑中ジムでのスパーリングではお互い最後に殴られるのが嫌で、ゴングが鳴り終わっても延々、父に止められるまで殴り合った。高校3年生でボクシング部主将だった時に恒成が入学。僕とケンカばかりで生意気な弟でしたが、そこで上下関係を学んだと思います。

 僕はプロにさほど興味がなく、自分に向いている3ラウンド決着のアマに残りました。ただ、一度だけプロを目指そうかと思ったことがあります。恒成が世界初挑戦した時です。弟はイエドラス(メキシコ)に勝ち、日本最速5戦目で世界王者になりました。両親のうれしそうな顔は今も覚えています。父は「世界王者をつくる」という最低限の目標を達成しました。もし、恒成が負けていたら僕がプロ入りし、リベンジを目指していました。田中家の士気に関わると思ったからです。恒成のベルト姿を見て安心し、自分の道を行きました。

 王者の中の王者に 恒成は今後もチャレンジ精神を持ち続け、海外で活躍できるような王者の中の王者になってほしい。僕は激戦のフライ級(アマは49キロ超~52キロ以下)で東京五輪に出て、金メダルを取りたい。田中家のプライドをもち、兄弟それぞれの道で頑張っていきたいですね。

 ◆田中 亮明(たなか・りょうめい)1993年10月13日、岐阜・多治見市生まれ。25歳。5歳から空手、12歳からボクシングを始める。岐阜・中京高(現中京学院大中京高)3年時は主将で、弟の恒成と国体ボクシング初の兄弟優勝(兄がフライ級、弟がライトフライ級)。駒大3年まで国体4連覇。16年度アマ最優秀選手賞を受賞もリオ五輪出場は逃す。現在は母校の高校社会科教員。身長170センチの左ボクサーファイター。妻・百美さんと昨年6月に結婚。

スポーツ

×