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【世紀つなぐ提言】田中聡子〈下〉重圧と闘い「負けてもいいから」東京で自己新4位

2019年2月9日12時1分  スポーツ報知
  • 東陽大会で全泳する田中

 60年ローマ五輪100メートル背泳ぎで銅メダルを獲得した竹宇治(旧姓・田中)聡子は4年後の東京大会に向け一気に注目度が高まり、報道陣に追い掛けられた。「『こっち見て笑って』と10回も20回も言われてると『もういいかげんにしてよ』という気持ちで、カメラがすごく嫌でした」

 筑紫女学園高時代からコーチを務めていた黒佐年明のいる八幡製鉄所(現新日鉄住金)に入社。午前8時から午後4時まで働き、午後6時から2時間は屋外プールで泳いだ。当時は屋内プールがあまりなく、工場から出る煤(すす)がプールに浮いていた。夏は暑く、秋が深まると水が冷たかった。冬は大分・別府の温泉プールで練習を行った。

 東京大会が近づくにつれ重圧が襲ってきた。海外の選手のタイムの伸びだ。1年前になると、16~18歳の選手が記録を更新していた。自身はなかなか伸びなかった。当時は20歳くらいまでが水泳選手としてのピークだった。しかも五輪での背泳ぎは100メートルだけで、竹宇治が得意で世界記録を更新続けた200メートルが加わったのは、68年メキシコ市大会からだった。

 世界との差を感じながら「勝っても負けてもいいから、ベストタイムで泳ごう」と目標を設定した。10月14日の決勝。50メートルまではトップと互角の展開だったが「75メートルでエネルギー切れでした。あとは必死でタッチしたことしか覚えていない」。優勝したファーガソン(米国)は1分7秒7の世界新。3位までが世界記録を上回っていた。竹宇治は1分8秒6の4位。自己記録を0秒8も更新し「それだけで安心した」。メダルには届かなかったが、やり遂げた満足感があった。

 現在は娘の病気をきっかけに、ぜんそく児童のために始めた水泳教室を続けている。今は大人も含め週2回、元気に指導している。「80歳以上の人が4~5人いて、がんがん泳いでいます。来年の五輪? 今の選手の練習環境は感嘆するほど整っています。私が(選手たちに)言う余地はありません」。静かに活躍を祈っている。

(編集委員・久浦 真一)=敬称略=

 ◆竹宇治 聡子(たけうじ・さとこ)1942年2月3日、長崎・佐世保市生まれ。77歳。60年ローマ五輪100メートル背泳ぎ銅メダル。日本選手権の同種目で100メートルは7度制し、200メートルは8連覇。筑紫女学園高―八幡製鉄所(現新日鉄住金)。

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