「空飛ぶヨット」東大卒内科医、セーリング・川田貴章が“ドクター選手”として描く夢

2018年1月16日11時0分  スポーツ報知
  • 東大医学部を卒業した川田(右)とロンドン五輪に出場した梶本。異色のコンビが東京五輪出場に挑む(カメラ・矢口 亨)
  • 内科医としての顔も持つ川田

 東大医学部卒のセーリング・川田貴章(34)=ミキハウス=は、非常勤の腎臓内科医として働きながら競技活動。一時は五輪の夢を諦めたが、昨年から12年ロンドン五輪に出場した梶本和歌子(34)=橋本総業=とタッグを組み、男女混合で乗るナクラ17級に挑戦している。医師として競技資金を集めながら目指す20年東京五輪では、異色の“ドクター選手”として金メダル獲得を狙う。

 鋭い水しぶきを上げ、猛然と海面を駆け抜けた。川田と梶本が操る船は時速50キロで走り、水面から1メートル半も浮き上がる。激しく揺れる中で全身を乗り出し、風で暴れる船をコントロール。「スノーボードみたいに下手すると転んでけがをする。やっているだけで楽しい」。川田はセーリングの面白さを心地よさげに語った。

 陸に上がれば姿が一変する。白衣に眼鏡、そして首には聴診器。医師専門のアルバイト募集サイトに応募し、腎臓内科医として働きながら競技に打ち込む。肩書は非常勤のアルバイトだが「ちゃんと医者をやってます」と、知識や患者からの厚い信頼は本物だ。父・征一さん(76)と同じ道を志して東大医学部へ。今は透析管理、内科外来、訪問診療など、週2日の勤務で生計を立てる。「何でそんなに日焼けしてるの?」と患者からの問いには「これは隠せない」と苦笑いだ。

 東大在学中の07年、代表選考レースで敗れ、08年北京五輪は出られず一時は五輪を諦めた。卒業後の11年から医師に。寝たきりの患者と関わり、人が亡くなっていく光景が当たり前になった。「死」は特別なものではない、いつか自分にも降りかかる―。医師としての日々を送るうち「自分の人生も一回で終わる。時間は全然残ってない。モヤモヤと残っていたわだかまりが強くなっていった」。後悔せずに生きようと、16年春に競技復帰を決断した。

 17年4月にミキハウスとスポンサー契約を結ぶまで、資金集めに苦労した。船は1艇約450万円。帆を支える柱(マスト)は1本約100万円で、すぐに折れることもある。「稼いだそばからなくなる。通帳の残高が0円辺りをさまよっていた」と両親をあきれさせた。夕食は牛丼チェーン店で食費を浮かし「医者なので栄養管理は自分でできる」と強みを発揮。海外の論文を読み込んでトレーニング方法を模索するなど、自慢の脳みそをフル回転させた。

 身を粉にしても、のめり込めるのがセーリング。面白さを伝えるため「まずはメダルを取ることが先決。ヨット界を盛り上げたい」。2年半後の東京五輪。首にかけているのは聴診器と金メダルだ。(浜田 洋平)

 ◆ナクラ17級とは 16年リオ五輪から採用された男女混合種目。身を乗り出してバランスを取り、進路を指示する人を「クルー」、かじ取りを「スキッパー」と呼ぶ。川田がクルー、梶本がスキッパーを担当。時速50キロで走り、海面から浮き上がるため「空飛ぶヨット」と称されることも。

 ◆川田 貴章(かわた・たかあき)1983年9月26日、横浜市生まれ。34歳。父・征一さんの影響で小3から「横浜市民ハーバージュニアヨットクラブ」で競技を始める。東京・麻布高では個人で競技に取り組み、3年時に国体と全日本選手権で優勝。1年の浪人を経て、2003年に東大教養学部理科三類に進学。同大学ヨット部では07年世界選手権470級で33位。172センチ、75キロ。家族は妻。

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