サーフィン、誰しも波にもまれて上達する…波乗りド素人の五輪競技担当記者が体験

スポーツ報知
今回のサーフィン体験で唯一、波に乗りサーフボードにも立った細野友司記者(カメラ・泉 貫太)

 20年東京五輪で新種目となったサーフィン。海で泳いだ経験さえ数度、全くのド素人が波乗りに挑むと、どうなるのか。五輪競技担当の細野友司記者(29)が、東京五輪会場となる千葉・一宮町主催の初心者体験会で奮闘取材。五輪メダル候補・川合美乃里(17)=千葉・明聖高=から、まさかの合格点!? その魅力について、日本サーフィン発祥の地といわれる神奈川・茅ケ崎の“レジェンド”藤沢譲二さんに聞いた。

 思わず声が出た。「あっ、立ってる!」。練習を始めて6本目。板の上にいた時間は、たぶん2~3秒だったはず。とても長く感じ、波の上の景色を夢中で味わった。指導してくれた77年日本プロチャンピオンの岡野教彦さん(62)は「板に乗っている間は、頭の中を真っ白にできるから良いよね」と笑う。全部で15本ほどトライし、板に立てたのはたった1本。忘れられないビギナーズラックだった。

 今回体験した一宮町のポイントは、東京五輪会場の釣ケ崎海岸から2キロほど北に離れた初心者用の浜。メダル獲得に期待がかかる川合美乃里の実家とは、目と鼻の先の場所だ。取材で会った川合に初挑戦で「立った」ことを伝えると「すごいですね! 初めてでも全然いい方。立てないで終わるより、立って楽しいと思えた方が良い!」と褒めてもらった。

 川合自身は、水に顔をつけるのも嫌で、ゴーグルをつけて板に乗っていた。「まだ小さかったから、初めて立った時のうれしさとか覚えていないんですよね。楽しいと思い始めたのは試合を回り始めてからかな」。ふむふむ。誰しも波にもまれて上達するのだ。10年以上前、6歳で競技を始めた川合も同じだろう。6日に全米OPを連覇した五十嵐カノア(20)=木下グループ=もきっとそうだ。

 シンプルに感じたことがある。ここ、初心者のポイントの割に波が高すぎないか…。水深は約1メートルほどだが、立っていても、時に身長(165センチ)のはるか上から水が降ってくる。体験日は日本の南海上を台風が通過した後で、ちょうどうねりが到達するタイミング。川合は「釣ケ崎は波の表情の変化がすごい。いい時はいいけど、悪い時は1週間悪い状態が続いたり。でも、台風の前後は波が良いことが多くて、(サーファーの)車がいつも満車になっている」と明かす。知らず知らず、絶好の波日和に当たっていたのだ。東京五輪は20年7月26~29日に開催。2年後の空模様が、今から気になってしまう。

 私はテニスこそ現在まで約10年間続けているが、高校や大学で運動部には所属していなかった。体験会を主催した一宮町の生田修大さんは「30分でヘロヘロになりますよ」と予告していた。その通りだった。波に逆らい、歩いて沖に進むだけで脚にくる。板に立てた1本は、左ふくらはぎをつった状態だった。逆に力がうまく抜けていたのだろうか。何で立てたかさっぱり分からないが、1本でも立てたから楽しい。何度海にドボンしても、さぁ次と波に向かいたくなった。1時間半があっという間に過ぎていた。

 川合も「海って、誰にも気を使わないですぐ行けるし、入園料もいらない。いつでもサーフィンを見にきて、楽しいと思えば始めたっていい」と屈託ない。今回の体験会でお世話になったショップ「chp」のサーフィン教室は、板やスーツのレンタル料込みで1日6000円。この競技はハマる。波に乗って…いや立ってみれば分かる。(細野 友司)

 ◆67歳レジェンド藤沢さん「誰とでも裸で付き合える、海は寛大だから」

 スっと伸びた背筋に、割れた腹筋。プロ1期生でもある藤沢さんは、67歳には見えないダンディーな雰囲気を漂わせる。今でも毎日のように「海に行く=仕事」を続けている。

 「プロだから、みんなのお手本にならないと。下手なら魅力がないでしょう。太ったら格好悪い」

 15歳だった1965年、ハワイのアラモアナでサーフィンに出会った。アルファベットも書けなかった少年は魅力にとりつかれ、板を買うために親戚が営むレストランで朝5時から皿洗いをしてお金を稼いだ。

 「最初の板は99ドル(約1万1000円)だった。オーダーすると250~260ドル(約2万8000円)。建設作業員もやった」

 75年、茅ケ崎にサーフショップを開き、最先端の板を売り出した。78年に日本のプロ制度ができ、サーファーファッション誌「Fine」が創刊され、80年代前半にブームが起きた。

 「いろんな人にとって、ハワイやカリフォルニアが近い存在になった。ただ(競技で)稼ぐ手段はなかった。大会には賞金もスポンサーもなかった」

 近年は子供向けの用具も増え、競技性が高まった。五輪種目入りし、スポーツの一つと認められた。日本サーフィンの草創期から知る藤沢さんも歓迎だ。だが、体一つ、板一枚で海に飛び込んでいく魅力は変わらない。

 「総理大臣とでも裸で付き合える。偉い人も、悪い人も、女性でも、子供でも。海は寛大だから」

 ◆藤沢 譲二(ふじさわ・じょうじ)1950年10月6日、東京・立川市生まれ。67歳。15歳でハワイに渡りサーフィンと出会う。75年に帰国し神奈川・茅ケ崎市にサーフショップ「Fluid Power」を開く。趣味は釣り。

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