父の夢を実現し、1964年東京五輪のコートに立ったバスケ選手

スポーツ報知
男子バスケ代表だった江川嘉孝さん

 64年大会男子バスケットボール日本代表の江川嘉孝(75)は、父の夢を実現させてコートに立った。父・栄は、福島・会津地方では有数の短距離選手だった。だが、第2次大戦のレイテ沖海戦で戦死。5歳の頃だった。「嘉孝が大きくなったら、蔵の中を見せてくれ」と親類に言い残して戦地に旅立っていた。中学生になり、その中から見つけたのは、大会で優勝した時のメダルやシューズに交じって「五輪選手になりたい」と書き記した日記だった。

 長身だった江川は、父の遺志を継いでバスケットの五輪選手を目指した。「強いところでやりたい」と会津高を中退。母・栄子も幼少の頃亡くしており、東京の叔母を訪ね、中大杉並高に入学。スパルタで知られた厳しい練習を乗り越え、3年時に全国大会初優勝。一躍、代表候補に名前を連ねると、明大3年で五輪代表に。「うれしかったですね。公衆電話に走り、お世話になった福島の叔父、叔母に報告しました」

 本番ではメダル候補だったイタリア戦で本領を発揮した。前半5分、相手選手と激突し、左太ももを打撲、立てなくなった。救護室に運ばれ、麻酔注射を5本打った。「大丈夫です。やります」と吉井四郎監督にアピールし、再びコートに。チームの士気は一気に高まった。「闘志に火がつきました。勝とうと思ったら、そういうプレーが出るんですよ」。72―68で金星。予選リーグを3勝3敗に持ち込み、その勢いで目標の10位に食い込んだ。

 現在、千葉・木更津市の20年東京五輪・パラリンピック推進委員会アドバイザーを務めている。5年前に西アフリカフェスティバルを同市が開催したことをきっかけに、ナイジェリアのキャンプ地誘致に尽力。「バスケの日本代表とナイジェリアとの練習試合などを子供たちに見せられれば」と未来の五輪選手につながることを願っていた。

 ◆江川 嘉孝(えがわ・よしたか)1942年12月20日、福島・会津坂下町出身。75歳。明大―八幡製鉄。63、67年世界選手権代表、76年モントリオール五輪男子代表コーチ。日本リーグでは得点王、ベスト5などを受賞。184センチ。ポジションはFW。

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