【箱根への道】国士舘大・大川隼平「走るマネジャー」からシード奪回切り札へ

スポーツ報知
高々とジャンプし、意気込む(左から)国士舘大・藤江千紘、大川隼平、多喜端夕貴、高田直也、戸沢奨(カメラ・橋口 真)

◆国士舘大 前回19位(3年連続47回目) 予選会9位、出雲、全日本不出場

 平成最後の箱根駅伝で平成最初の大会(1990年、平成2年)以来のシード権(10位以内)を目指す国士舘大の“秘密兵器”は「走るマネジャー」大川隼平(4年)だ。左足裏のウイルス性イボが悪化し、3年進級時にマネジャーに転向。チームの仕事をこなしながら練習を続け、最終学年の秋に急成長。土壇場で初の登録メンバー入りを果たした。チーム思いの男が29年ぶりのシード奪回の切り札となる。

 「箱根への道」を一度は諦めた。高校時代から悩まされてい左足裏のウイルス性イボが2年時に悪化。「足の裏に小石が入っているようで歩くだけで痛かった。箱根駅伝に出場したくて国士舘に入ったのに走れないのなら大学も辞めようと思った」と大川は話した。

 両親の説得で退学を翻意。3年進級と同時にマネジャーに転身した。朝練習で選手の集合は午前6時だが、マネジャーは打ち合わせのため、その30分前に集まる。午後の本練習はさらに多忙。給水ドリンクの準備、タイム計測…他のマネジャーとともにチームに尽くした。

 3度のイボ除去手術の結果、少しずつ走れるようになり、全体練習の前後に個人練習に励んだ。その姿を添田正美監督(41)は見ていた。「練習を“やらされている”と思ってしまう選手がいる中で大川は“やる”練習だった。強くなる。復活を期待した」

 指揮官の予想通り、4年の夏を過ぎると頭角を現した。9月、日本学生1500メートルで6位入賞。さらに距離を伸ばし、1万メートル、ハーフマラソンで自己ベスト連発。4年目で初めて登録メンバー入りを果たした。

 現在は練習を優先するが、公式な肩書はマネジャーのままだ。「マネジャーになる前はドリンクをつくってもらってもタイムを計ってもらっても何とも思っていなかった。今は感謝を忘れずに走っています」。マネジャーリーダーの高橋勇成主務(4年)は「我々が忙しい時は率先して手伝ってくれる。大川の走りには気持ちを感じる」と心底、うれしそうに話す。

 国士舘大が最後にシード権を獲得したのは平成最初の大会の1990年までさかのぼる。「平成最後の箱根駅伝でシード獲得の一員となりたい」と大川は表情を引き締める。1万メートルのベストは高校生レベルの30分台後半だが、持ち前のスピードを生かし、山下り6区に出陣する可能性がある。挫折を乗り越え、走る喜びを知ったマネジャー兼選手は持ちタイム以上の強さを持っている。(竹内 達朗)

 ◆大川 隼平(おおかわ・しゅんぺい)1996年5月8日、名古屋市生まれ。22歳。中学1年から陸上短距離を始める。同2年から中長距離。愛工大名電高3年時に県大会1500メートル優勝。15年、国士舘大体育学部入学。来春卒業後は「コメダ珈琲店」などを展開するコメダに就職。家族は両親と姉。169センチ、53キロ。

 ◆国士舘大 1956年創部。箱根駅伝には57年に初出場。最高成績は64、67年の3位。出雲駅伝は90年の7位、全日本大学駅伝は71年の2位が最高。男子長距離部員は選手60人、学生スタッフ8人。タスキの色は青に赤の縁取り。主な大学OBは04年アテネ五輪柔道男子100キロ超級金メダルの鈴木桂治氏。主な陸上部OBは男子十種競技日本記録保持者の右代啓祐。

 ◆戦力分析 2人のケニア人留学生が登録メンバーに入ったが、大会ルールで出走できるのは1人。ロードに強いヴィンセントが2区を走ることが濃厚。「目標は歴代5位の1時間7分4秒です」と落ち着いた様子で話す。前回1区15位の住吉が中位以内でつなげば序盤に見せ場をつくる可能性がある。

 5区は前回13位の鼡田、6区は同12位の高田が計算できる。チーム上位の走力を持つ高田が平地に回り、マネジャー兼選手の大川が山を下るプランもある。今季の国士舘大は地味ではなく、味わいのある“滋味”なチームに仕上がった。

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