【篠原信一の柔道一本】篠原流「五輪への7か条」~第5章は「孫子」「諸葛孔明」に学ぶ

スポーツ報知
偉人をイメージしたという篠原氏提供の合成写真

 ▼篠原流『五輪への7ヶ条』

【1】筋力アップ

【2】たくましい精神力を作る

【3】新しい技術の獲得

【4】想定外を常に考える

【5】世界の情報を収集、分析する

【6】常に緊張感のある練習をする

【7】総合力を高める

 今回は【5】の話です。

 中国・三国時代の軍師で「三顧の礼」でも知られる諸葛孔明や、「兵法」の孫子はご存じですか? 孫子の名言には「彼(かれ)を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」とあります。「向かう相手の実情と自分の実力を正しく知ることで、負けない戦い方ができる」という意味です。孔明の名言には「無欲でなければ志は立たず、穏やかでなければ道は遠い」とあります。はい。自分の現役時代を振り返ると、めちゃ響く言葉なんです。策士、策に溺れると言いますが、私の場合は考えてみれば、最初から策もありませんでした(猛反省)。うぬぼれに溺れていましたのでっ(笑)

 【めんどくさかった】

 現役時代の全日本合宿の時。00年シドニー五輪前のことです。私たちは科学研究班の蓄積した映像データを活用していました。研究班がビデオ撮影した試合ですね。日本選手が出場していない欧州選手権など全階級を撮影し、各階級の強豪選手を整理して私たち選手に提出してくれていました。その映像を合宿時に斉藤仁先生はじめ、各階級の担当コーチとチェックしながら、対戦するであろう選手の分析をしていました(と思う 汗)。

 斉藤仁先生「昼飯食べた後、14時からビデオ研究をするから部屋に来い」

 篠原「えっ!? ビデオ研究するんですか?」

 斉藤「アホ! やるよ」

 篠原の心の声「午前中の練習で疲れてますねん。寝かして下さいよ…。だって研究しなくても勝てるんだしぃ」

 集合部屋のドアをコン、コン。失礼しまーす。

 斉藤先生「で、今日はどの選手を見る?」

 篠原「先生! 見なくていいですよ!」

 斉藤「何でや?」

 篠原「トメノフ、ドイエ、タダログル【注】、その他の選手もそうですが、試合してますし、見なくて大丈夫ですよ」

 【注;トメノフ(ロシア)は98年W杯で朽ち木倒しで一本負けした怪力選手。96年アトランタ五輪王者のドイエ(フランス)は、後の00年シドニー五輪決勝での誤審で敗れた宿敵。タダログル(トルコ)は、篠原が100キロ超級、無差別級で2階級制覇した99年バーミンガム世界選手権で、無差別級決勝で対戦した相手】

 斉藤先生「そうやけど、とりあえず見ろ!」

 篠原の心の声「大丈夫やって !オレに任せておかんかいっ! せ・ん・せ・い!」

 斉藤先生「信一! タダログルとバンバルヌベルド(ベルギー、97年世界選手権銅)の試合の、この今の場面の様な組手になった時は、どう対応する?」

 篠原「あんな組手にさせません…」

 斉藤先生「…」

 篠原の心の声「大体、名前が難しくって舌かむわ!」

 篠原「先生、早送りしましょう」

 斉藤先生「大体の選手と試合してるし、分かってるわな!?」

 篠原「ハイ、教官! 熟知しております! だから部屋に戻っていいですか!?」

 斉藤先生「他の選手は研究してるから、静かに戻れよ!」

 篠原の心の声「やった! 寝れる! 午後の練習まで2時間は寝れる」

 と、こんな感じやったな!

 ビデオ研究した事ないな!

 とにかく面倒くさいこと、難しいこと、そして時間のかかることは、集中力がないので出来ませんでした(汗)。

 【それでも勝っていた】 余談ですが、相手選手がどんな技を掛けるのかぐらいは、ちゃんとリサーチしていましたよ! 試合になれば、しっかりと組んでいれば、相手の身体の動きや、相手が掛けてくる技はわかるでしょ! 組んでいれば相手の動きが伝わってくるもんなんです!

 1999年のバーミンガム世界選手の初戦前も斉藤先生から「信一! 次の対戦相手の1回戦の試合のビデオ、見とくか?」と助言されても「見るわけないでしょ」と見ませんでした。結局は2階級制覇しましたからね!(ドヤ顔)

 「篠原が力強いからとか、手足が長いから両手持てるんでしょ!」って言った、あなた! NO~! 僕は対外国選手の時は、よく奥襟を持たれて頭を下げられてましたがなぁ。だけど! 不利な体勢でも必ず釣手、引手とも持っていたから対応できたのです!

 【身につまされる】

 2000年シドニー五輪の時。

 斉藤先生「トメノフがモラー(ドイツ、95年世界選手権銀)に巴投げで勝ったぞ! その試合を見といた方がいいぞ」

 篠原「大丈夫ですよ! モラーは以前もトメノフに巴投でも負けてたでしょ!」

 篠原の心の声「モラー、何やってるねん! トメノフ負けろよっ!」

 篠原「俺は巴投なんてかかりませんから!」

 で、準決勝でトメノフと対戦。開始すぐにでしたね。トメノフの巴投に有効を取られました(汗)。いや、この時は焦ったな…(大汗)ま、逆転で勝ちましたが(滝のような汗)。

 【痛感しました】

 この時、初めて「ビデオを見とけば良かった」と思いましたね。決勝はドイエに敗れました(※世紀の大誤審)が、準決勝で負けていたら、決勝舞台にすら行けなかったと思うと、冷や汗をかきましたね。一瞬、見ておけばよかったと思いました。後に、2008年に男子代表監督になった時、現役時代の反省を生かして情報戦略を徹底していこうと思いました(12年ロンドン五輪は惨敗でしたが…号泣)。

 負けた選手が、試合後に「タラ」「レバ」を口にすることがあります。後悔として使う「タラレバ」には発展がありません。反省と自戒の念を込めて、次につなげるために口にするのが本当の「タラレバ」です。

 さて、問題です。

 「くっそう! ドイエに勝ってれば!」。46歳になった、この篠原の心の声は、さてどっちのタラレバになるのでしょうか?(笑い)

 ◆篠原 信一(しのはら・しんいち)1973年1月23日、神戸市出身。46歳。中学1年で柔道を始め、育英高、天理大を経て旭化成に入社。98~00年まで全日本選手権3連覇。99年世界選手権で2階級(100キロ超級、無差別級)制覇。2000年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。03年に引退。08年に男子日本代表監督に就任し、12年ロンドン五輪で金メダル0の責任を取る形で辞任。

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