山梨学院大・飯島監督、34年連続箱根へ「プルシアンブルーを曇らせたくない」インタビュー

スポーツ報知
チーム強化に意欲を見せる山梨学院大・飯島駅伝監督(中)(左は上田監督、右は大崎コーチ)

 山梨学院大の飯島理彰・駅伝監督(47)が、このほどスポーツ報知のインタビューに応じた。箱根駅伝33年連続出場、3度の総合優勝に導いた上田誠仁監督(60)に代わり、チームを指揮して1か月弱。重圧の中で試行錯誤の日々だが、「(チームカラーの)プルシアンブルーを曇らせたくない」と、34年連続の箱根路へ強い決意を語った。(取材、構成・竹内 竜也)

 新設の「駅伝監督」に就任し、まもなく1か月。コーチを19年務めた経験があり、上田監督が陸上部監督続投、北京五輪男子マラソン日本代表の大崎悟史コーチ(42)もいる。そんな頼もしい状況でも、重圧を感じているという。

 「駅伝監督になってからは、寝ていても時々目が覚める。コーチの時はそういう(夜中に目が覚める)のは箱根駅伝の時くらいだった。上田監督はこれをずっとやって来られたのかと思うと、本当にすごい」

 1月の箱根駅伝が終わった後に、上田監督から駅伝監督に指名された。

 「上田監督が出して来られた色を暗くしないようにしたい。より明るくできたら最高。プルシアンブルーを曇らせたくない」

 箱根は過去3大会で総合17位、18位、21位と苦戦し、シード権を逃している。

 「原因ははっきりしている。今年は(エースの)ニャイロが故障し、予選会を走った3人も(故障のため)本戦で外れた。その前(17年)にはインフルエンザもあった。選手たちはしっかり練習する気質だが、体のケアやメンテナンスに対する知識、意識が足りない」

 ミーティングではストレッチの重要性を繰り返し指導するなど、ベストの状態で箱根に臨むための積み重ねを大切にしている。

 飯島監督は、神奈川・荏田高では3年時に故障で全国総体に出場できなかったが、上田監督に誘われ山梨学院大に進学。92年の箱根初優勝、94年の優勝にも貢献するなど能力が開花した。

 「上田監督が指導した日本人選手で最初に、ステータスだった(5000メートル)13分台と(1万メートル)28分台を出せた。『目指す所はそこだよ』と示してもらえたお陰。(コーチとして見て来た上田監督は)練習はすごく細かく指導される。データ化して、距離やタイム設定も綿密にされていた」

 名将の指導法を間近で学んだ新指揮官。1年目の目標は明確だ。

 「箱根に出場すること。連続出場記録は途絶えさせてはいけない」

 5月の関東学生対校、6月の全日本大学駅伝予選会など一つ一つ結果を出し、10月の箱根駅伝予選会へ。34年連続、新元号初となる大舞台への戦いは始まっている。

 ◆飯島 理彰(いいじま・まさあき)1971年9月13日、横浜市生まれ。47歳。万騎が原中1年から陸上を始め、3年時に全中、荏田高2年時には全国総体に出場。山梨学院大では4年連続で箱根を走り、2年時の92年に初優勝、94年も制した。実業団のダイエー、富士通を経て、2000年から山梨学院大コーチに就任。趣味はジョギングと、たまにサウナで汗を流すこと。血液型O。家族は夫人と1女。

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