15歳・田村亮子デビューV〈1〉「白帯のまま出たかった」

2019年3月15日12時4分  スポーツ報知
  • 福岡国際決勝で李(下)に一本勝ちして初出場Vを決めた田村亮子

 1990(平成2)年12月9日、女子柔道界にスーパーヒロインが登場した。世界トップ級が参戦した福岡国際女子48キロ級で、初出場の中学3年生・田村亮子(現姓・谷)が準決勝で、当時無敵だったカレン・ブリッグス(英国)にわずか28秒で一本勝ちした。その勢いのままに優勝を飾ると、以降は五輪連覇、2年に1度の世界選手権7度制覇など次々、大記録を打ち立て、平成を駆け抜けた。「リョウコは柔道界のモーツァルト」―。ライバルが絶賛したYAWARAちゃんの“原点”を探る。(取材・構成=谷口 隆俊)

 スポーツ史を大きく動かす28秒だった。144センチ、42キロと、参加149人中最も小柄な15歳の亮子が、世界選手権4度優勝の女王に一本勝ち。当時人気だった漫画「YAWARA!」から現実に飛び出してきたようなヒロイン誕生に日本中が沸き、世界が注目した。

 1回戦で左肩を打撲したものの、外国勢のパワーをスピードで圧倒して連勝。「準決勝進出が決まった時、次は憧れのブリッグス選手と対戦できるんだという喜び、それだけでした。対策もないし、練習してきた技を出してみよう、と」。開始十数秒。亮子の伸ばした右足を支点に、ブリッグスの体が空中で半回転した。体落としに「技あり!」。何が起こったのか理解できない女王は立ち上がるや、今度は亮子の大内刈りで腰から落ちた。再び技あり。主審の右手が上がった。

 2階席で、亮子が通う東福岡柔道教室の子供ら250人の応援団は大興奮。7歳から指導してきた稲田明師範が目を細めた。「亮子のスピードに外国選手はついていけない。ただ、さすがにブリッグスが相手ではと…。でも、技ありを取ってなお、技を仕掛けて勝った。先に先にと攻める、教えたとおりの柔道でした」。畳から下りた女王は組み合わせボードの裏にしゃがみ、タオルを頭からかぶった。流れる涙を隠していた。一本での敗戦は初めてだった。

 初の国際大会でも「緊張も何もなかった」という。「地元で開かれたというのは縁、だったのでしょうね」。同大会では試合の合間に、子供たちの演武が行われ、亮子は毎年参加。憧れの選手との乱取りが楽しみだった。小4の時は後に72キロ超級世界3連覇を果たす高鳳連(中国)に胸を借りた。「高さんは背負い投げにゴロンと投げられてくれて…。私の10倍くらい大きかった(笑い)」。楽しい思い出しかない場所だから、無心で戦えた。

 「準決勝は勝ったという実感がなかった。勝った瞬間、決勝は李(愛月)さん(中国)だ、どう戦おうかと考えていました」。初Vをかけた一戦。背負い投げで技ありを先取すると、2分52秒、連覇を狙う相手の内股を見切った内股透かしで一本勝ちだ。偶然の切り返しではなく狙った大技に、首脳陣は「大人でも難しい、高度な技」とうなった。

 10月の国内予選を勝ち抜いた時、亮子はまだ白帯だった。国際柔道連盟主催の国際大会は有段者しか出場できない。「まさか、町道場から出るとは思わなかった。急いで昇段試験を受けました」。試験では30キロ近くも重い相手を含め5人抜きを達成。大会1か月前に初段となった。「でも、本当は白帯のまま出たかった」。小さな体に大きな野望を宿していた。

 ◆谷 亮子(たに・りょうこ)旧姓・田村。1975年9月6日、福岡市生まれ。43歳。小2から柔道を始め、福岡国際は12度、全日本選抜体重別は14度、世界選手権は7度優勝。五輪は5度出場し、2000年シドニー、04年アテネでの2連覇を含め、金2、銀2、銅1。11年国際柔道連盟の史上最優秀女子選手賞受賞、13年に殿堂入り。03年、プロ野球選手の谷佳知外野手(引退)と結婚。2児をもうけた。10年から参院議員を1期務めた。

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