栃ノ心、報知年間最優秀力士賞を文句なし初受賞「最後に評価されて良かった」

スポーツ報知
報知年間最優秀力士賞に選ばれ、ガッツポーズで喜びを表す栃ノ心(カメラ・池内 雅彦)

 報知新聞社制定「平成30年(2018年)第61回報知年間最優秀力士賞」に大関・栃ノ心(31)=春日野=が決定したと25日、発表された。東京・銀座の三笠会館で行われた選考会では、初の年間最多勝(59勝)を獲得したことなどが決め手となり満場一致の初受賞。春日野部屋では、59年前の第2回で名横綱・栃錦が受賞して以来となり、感激の栃ノ心は19年の綱取りにも意欲を示した。表彰式は来年1月13日の大相撲初場所(両国国技館)初日の土俵で行われ、スポーツ報知杯、賞金が贈呈される。

 初受賞の吉報が届くと、栃ノ心から自然と笑みがこぼれた。大関としては02年の朝青龍以来、16年ぶりの快挙。怪力の右四つを代名詞に、秋場所では横綱・鶴竜をつり上げ、相撲ファンを魅了した。「今年はうれしいことも、苦しいことも経験した。自分の支えになってくれたのは、やっぱり春日野部屋や巡業先での厳しい稽古。最後に評価されて良かった」と、めまぐるしい1年を思い返した。

 平幕だった初場所で初賜杯を抱き、夏場所後には一気に大関まで昇進。新大関場所の名古屋では一転、右足親指を負傷して途中休場した。「周囲の期待に応えたくても応えられない。勝たないといけない番付の重圧もあったから、なおさら苦しかった。最後は体中が痛かったよ」。満身創痍(そうい)の中、1年納めの九州で勝ち越し。自身初の年間最多勝の座を死守して大関の面目を保った。

 歴史に名を刻んだ喜びもかみしめた。過去60回の最優秀力士受賞者を眺めていた栃ノ心の視線が、第2回(59年)で止まった。当時、77勝で受賞したのは春日野部屋の先々代師匠、第44代横綱・栃錦。「おおっ、ここに名前が並んでいいの? 自分はまだ数字(59勝)が足りない。師匠(現春日野親方=元関脇・栃乃和歌)からは『相撲に厳しい人だった』と入門からずっと聞かされてきた。現役時代の映像も見たことがある。スピードは抜群で理想の相撲だよ」。栃若時代を築いた優勝10度の名横綱の取り口をイメージすると、言葉は止まらなくなった。

 毎年正月、都内で栃錦の墓参りをするのが春日野部屋の恒例行事。「これでいい報告ができる。一度、重たい賜杯を抱くと、また抱きたくなるんだよ。何回も優勝する横綱はスゴイよね。来年も優勝して、もっと上(の番付)に行きたい。稽古はウソをつかない」と最高位に意欲。巡業部長の春日野親方が連日見守った冬巡業は皆勤した。「30歳過ぎた今が一番、大関として力を出せる時期」と師匠。19年の綱取りへ、怪力大関への期待は膨らむ。(小沼 春彦)

 ◆栃ノ心 剛史(とちのしん・つよし)本名レバニ・ゴルガゼ。1987年10月13日、ジョージア・ムツヘタ出身。31歳。少年時代は柔道、サンボを経験。06年春に初土俵。08年夏に新入幕。18年初場所で初優勝。同夏場所後に大関(最高位)昇進。得意は右四つ、上手投げ。趣味は料理。母国と同じ読みの銘柄の缶コーヒー「ジョージア」を愛飲。191センチ、175キロ。

 ◆栃錦 清隆(とちにしき・きよたか)1925年2月20日、東京都生まれ。春日野部屋に入門し、39年1月に初土俵。54年9月に2場所連続の優勝を果たし、第44代横綱に昇進。50年代に初代若乃花と「栃若時代」を築いた。59年に現役のまま弟子の育成ができる二枚鑑札で春日野部屋を継承。通算10度優勝。60年5月に現役引退した。74年から日本相撲協会理事長。90年1月10日に死去した(享年64)。

 ◆選考経過

 選考会の過程では、傑出した成績を残す力士がいなかったことから受賞者なしとする意見も出されたが、栃ノ心、高安、御嶽海、鶴竜、貴景勝の5力士を候補として議論が進められた。

 最も推す声が多かったのは栃ノ心で、「左上手を取った時はショーのよう。華がある」(能町委員)、「来年頑張りなさい、という意味も込めて」(奥島委員)、「土俵上での敢闘精神がある」(鈴木委員)との声が上がり、初場所初Vから大関に昇進し、年間59勝の最多勝で最終的に満場一致の初受賞が決まった。

 貴景勝については、有馬委員が「九州場所を小結で優勝し個人的に推したい」としつつ、平幕で3場所を過ごした点で決め手を欠いた。優勝2度の鶴竜については、丸山委員が「ここ数場所、横綱の責任を果たせていない」と九州場所全休などを指摘。優勝次点3度の高安、名古屋場所初優勝の御嶽海もあと一歩だった。

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