相撲界に若貴時代はなかった…史上初の外国出身横綱・曙<2>

スポーツ報知
1993年1月28日、新横綱・曙の明治神宮奉納土俵入り。「寒かった。でも雪が降ったから絵になったでしょ」

 史上初の外国出身横綱として大相撲の歴史を変えた第64代横綱・曙太郎(49)。平成の初頭、若花田(のちの横綱・3代目若乃花)、貴花田(同横綱・貴乃花)の若貴兄弟フィーバーで大相撲は空前のブームに沸いたが、その渦中でひとり横綱を11場所務めたのがハワイ出身の曙だった。2017年4月に急性心不全を患い、現在、入院生活を余儀なくされている。記憶障害という後遺症に悩みながらも、横綱時代は忘れていなかった。曙とともに記憶をたどりながら「あの時」に迫る。

 平成の初頭に、若貴フィーバーが巻き起こった。元大関・貴ノ花の長男・若花田と次男・貴花田の出世物語がスポーツ紙やワイドショーをにぎわせた。だが大相撲の区切りでは「若貴時代というものはなかった」と月刊「スポーツ報知 大相撲ジャーナル」編集長の長山聡(62)は言う。「まず曙の一人横綱の時代があって、貴乃花と賜杯を分け合った曙貴(あけたか)時代へと続く。同期で敵役の曙が三役、大関、横綱と先に駆け上がったから若貴ブームが盛り上がった」

 ハワイからやって来た曙は、若貴と同じ1988年春場所に初土俵を踏んだ。92年夏場所、関脇として13勝2敗で初優勝。この場所直前に北勝海(現八角理事長)が引退し、横綱不在となっていた。場所後に曙は大関に昇進し、この年の九州場所で2度目の優勝。綱取りの翌93年初場所千秋楽に、関脇・貴花田を2秒7で押し出して連続優勝。横綱昇進を決めた。

 貴花田は14日目までに大関昇進目安を達成しており、同時昇進となった。新横綱・曙に新大関・貴ノ花(貴花田から改名)。番付とは裏腹に号外、そして翌日1面とも「貴」の見出しの方が大きかった。ハワイ出身の先駆者で師匠の高見山(先代東関親方)は最高位・関脇、その弟弟子の小錦(現タレントKONISHIKI)は大関まで昇進したが、綱取りはかなわなかった。横綱デビューを前にした2月16日、東京・千代田区の日本外国特派員協会で“人種差別”について聞かれた。「外国人だからといって差別を受けることはありません。スタートはみんな一緒。自分は運が良かったんです」と言い切った。

 史上初の外国出身横綱が誕生した時、1964年東京五輪柔道無差別級金メダルのアントン・ヘーシンク(オランダ、故人)は「私の時と似たケースだ。相撲が国際化するためには重要なこと。柔道では私が勝った瞬間から、国際化への道を歩み始めた」とコメントした。病室の曙はそれについて「知らなかった」と言ったが「その通りになった」と聞くと大きくうなずいた。“国民的兄弟”の若貴を圧倒した“曙時代”の「一番の思い出」は、93年名古屋場所での3人による優勝決定巴(ともえ)戦だった。

=敬称略、<3>につづく=(酒井 隆之)

 ◇外国出身力士 米ハワイ出身は、関脇・高見山(高砂)、大関・小錦(高砂)、横綱・曙(東関)、横綱・武蔵丸(武蔵川)ら。モンゴル出身は、小結・旭鷲山(大島)、関脇・旭天鵬(大島)、横綱・朝青龍(高砂)、横綱・白鵬(宮城野)=現役=、横綱・日馬富士(伊勢ケ浜)、横綱・鶴竜(井筒)=現役=、大関・照ノ富士(伊勢ケ浜)=現三段目=ら。ブルガリア出身の大関・琴欧洲(佐渡ケ嶽)、エストニア出身の大関・把瑠都(尾上)、ジョージア出身の大関・栃ノ心(春日野)=現役=らがいる。

 

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