瞬間最高視聴率66・7%、若貴兄弟との優勝決定巴戦…史上初の外国出身横綱・曙<3>

スポーツ報知
93年名古屋場所千秋楽、曙は巴戦で貴ノ花を寄り倒して若貴連破。横綱初優勝を決めた

 史上初の外国出身横綱として大相撲の歴史を変えた第64代横綱・曙太郎(49)。平成の初頭、若花田(のちの横綱・3代目若乃花)、貴花田(同横綱・貴乃花)の若貴兄弟フィーバーで大相撲は空前のブームに沸いたが、その渦中でひとり横綱を11場所務めたのがハワイ出身の曙だった。2017年4月に急性心不全を患い、現在、入院生活を余儀なくされている。記憶障害という後遺症に悩みながらも、横綱時代は忘れていなかった。曙とともに記憶をたどりながら「あの時」に迫る。

 史上初の外国出身横綱・曙の初陣となった1993年春場所は10勝5敗に終わり、小結・若花田が14勝1敗で初優勝を決めた(場所後に若ノ花に改名)。翌夏場所は曙の13勝2敗に対して、貴ノ花が14勝1敗で大関として初優勝。横綱になっても主役は番付下位の若貴兄弟なのか。その決着戦が名古屋場所だった。

 綱取り大関・貴ノ花に1差をつけて13勝で迎えた結びの直接対決。勝てば優勝だったが、曙は5秒1で押し出された。13勝2敗で貴ノ花と並んだだけでなく、この直前に24秒6の大相撲の末、小錦を寄り切って2敗を守った関脇・若ノ花とも並んだ。

 曙、貴ノ花、若ノ花の88年春場所初土俵の同期3人による優勝決定巴(ともえ)戦が実現した。本場所で同部屋同士、または兄弟同士が対戦するのは優勝決定戦のみ。世紀の若貴対決が目前に迫り、愛知県体育館は興奮が充満していた。

 関脇、大関、横綱の順に東の花道から入場。若者頭・佐賀光から差し出された3本の紙こよりを順番に引いた。くじには若ノ花が「西一」、貴ノ花が「〇」、曙が「東一」と記されていた。最初の一番は東方・曙と西方・若ノ花。貴ノ花は控えに入ることを意味していた。巴戦は誰かが2連勝した時点で優勝が決まる。1勝1敗が続けばエンドレスとなる夢の土俵だ。

 曙の若貴対策は一貫していた。「突き放していけば負けない。でも、まわしを取られたら不利になる。短い相撲なら勝てるけど、長くなったら勝つのは難しくなる」。今でもそう振り返る理想の相撲をこの巴戦で体現した。「貴ノ花のために、曙を疲れさせることだけ考えていた」という若ノ花を3秒8で押し倒し、貴ノ花にもまわしを引かれる前に進撃して4秒8で寄り倒し。最短の2番で決着がつき、若貴対決という国民の夢は潰(つい)えた。

 NHK中継の瞬間最高視聴率は66・7%を記録した(平均視聴率は37・6%=ビデオリサーチ調べ、関東地区)。翌日のスポーツ報知のメイン記事は「貴 綱見送り」。貴ノ花には史上最年少20歳での綱取りがかかっており、その夢も砕いた。横綱初優勝を決めた曙には、こんな見出しがついた。「曙 正義の悪役」「オワリの巴戦、2番でオワリ…」。尾張(名古屋)と終わりをかけたダジャレ見出しはさておき「正義の悪役」とは至言だ。25年後にその紙面のコピーを病室で見た曙は「フンっ」と、あきれるような、それでいてうれしそうな笑みを浮かべた。=敬称略<4>につづく=(酒井 隆之)

 ◆1993年のスポーツ界 曙が外国出身初の横綱に昇進した93年春は、スポーツ界は空前の盛り上がりを見せ、スポーツ紙の1面争いが激烈だった。長嶋茂雄が12年ぶりに巨人の監督に復帰し、5月にはJリーグ誕生を控えていた。相撲ネタでは、貴ノ花と人気女優の破局騒動がワイドショーをにぎわせた。横綱・曙と大関・貴ノ花の同時昇進は、そんな渦中にあり、主役は横綱より大関になってしまった。

 

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