若貴の師匠で父の元二子山親方への敬意…史上初の外国出身横綱・曙<4>

スポーツ報知
94年春場所千秋楽、優勝決定巴戦で曙(奥)は貴ノ浪に続いて貴闘力(手前)をも下し、7度目の優勝を決めた

 史上初の外国出身横綱として大相撲の歴史を変えた第64代横綱・曙太郎(49)。平成の初頭、若花田(のちの横綱・3代目若乃花)、貴花田(同横綱・貴乃花)の若貴兄弟フィーバーで大相撲は空前のブームに沸いたが、その渦中でひとり横綱を11場所務めたのがハワイ出身の曙だった。2017年4月に急性心不全を患い、現在、入院生活を余儀なくされている。記憶障害という後遺症に悩みながらも、横綱時代は忘れていなかった。曙とともに記憶をたどりながら「あの時」に迫る。

 急性心不全による後遺症で入院中の曙は、ベッドの電動リクライニングを起こし、大相撲時代の映像に身を乗り出した。新弟子検査から断髪式までのDVDを病室に届けると、1時間たっても「まだ見たい」と言い、昼食をはさんでさらに1時間。問いかけにも応じず見入っていた。

 曙が新横綱になった93年春場所に若貴の父で師匠の年寄・藤島(元大関・初代貴ノ花の花田満)が、兄・二子山(元横綱・初代若乃花)と名跡を交換し、部屋を合併させた。旧藤島部屋の安芸乃島、貴闘力、貴ノ浪に、旧二子山部屋の隆三杉、三杉里、豊ノ海、若翔洋、浪之花…。“独占禁止法違反”などと皮肉られる大部屋となり、それがそのまま曙包囲網となった。

 94年春場所千秋楽には3人がかりで曙に襲いかかった。結びの一番で大関・貴ノ花を引き落とし、12勝3敗とした曙だったが、同じく12勝でついてきた大関・貴ノ浪、平幕・貴闘力との優勝決定巴(ともえ)戦となった。貴ノ浪を突き倒し、貴闘力を押し倒して、1日で二子山勢に3連勝した。

 この時の映像の中に、貴闘力が緊張のあまり、仕切りの時に塩をまくのを忘れる一幕があった。笑いながら見た曙は「こっちも集中してるから、全然、気付かなかった」と懐かしんだ。貴ノ花は、この年の九州場所で貴乃花に改名し、2場所連続の全勝優勝で横綱に昇進。曙のひとり横綱時代は11場所で終わった。

 この頃、もう一人の同期である友綱部屋の魁皇が三役になり、二子山勢と総当たりする同志になった。97年春場所9日目に魁皇の上手投げに敗れた翌朝、曙は「その新聞ちょうだい」と珍しく負けた相撲の写真を求めた。魁皇との投げの打ち合いに顔で受け身を取り、額、頬、鼻をすりむいた写真が掲載されていた。

 「手をつくな、顔から落ちろ」は若貴の師匠の教えだった。序二段で出稽古に行き、若貴と同じように厳しく指導してくれた花田満への敬意。「若貴がいたから横綱・曙が生まれた」。今も変わらない曙の決まり文句の意味は深い。

 この場所は曙、貴乃花、大関・武蔵丸、平幕・魁皇の4人による決定戦となり、貴乃花が優勝。96年九州では史上最多の5人決定戦(武蔵丸が優勝)にもつれるなど、曙貴時代は混沌(こんとん)し始めた。曙の両膝はボロボロ、貴乃花は内臓疾患で休場がちに。曙には、どうしても貴乃花に勝ちたい決定戦があった。それは98年の長野五輪“切符”だった。=敬称略、<5>に続く=(酒井隆之)

 ◇曙の優勝決定戦

 ▽93年名古屋 若ノ花、貴ノ花に巴戦で連勝

 ▽93年九州 武蔵丸に勝利

 ▽94年春 貴ノ浪、貴闘力に巴戦で連勝

 ▽96年九州 武蔵丸、貴ノ浪、若乃花、魁皇と5人決定戦(武蔵丸が優勝)

 ▽97年春 貴乃花、武蔵丸、魁皇と4人決定戦(貴乃花が優勝)

 ▽97年夏 貴乃花に勝利

 ▽99年名古屋 出島に敗北

 ※2~5人の決定戦すべてに出場したのは歴史上、曙だけ

 

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