稀勢の里という男…無口で愚直昔ながらの力士像体現

スポーツ報知
17年3月、新横綱として迎えた春場所で、雲竜型の土俵入りを披露する稀勢の里

 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

 無口で不器用―。愚直な土俵人生を歩んできた稀勢の里の根底には先代・鳴戸親方(元横綱・隆の里)の教えがある。取組後の支度部屋では小さな声で多くを語らず、記者泣かせの力士だった。負ければ質問を無視することも多々、勝って口を開いたとしても「いやっ、まっ、そうっすね」と「はい」なのか「いいえ」なのか判断しづらい言葉が返ってきたこともあった。

 それこそ「マスコミにはあまり話すな」と、先代師匠が口を酸っぱくして弟子に伝えてきた教えだった。「勝って喜ぶのは相手に失礼」と教えられ、支度部屋では笑みを見せることもなかった。明らかにけがをしていた場合でも、指摘されて「大丈夫です」。負傷を明かすことは言い訳となり、翌日の対戦相手にわざわざ弱点を教えることになるからだった。

 兄弟子に当たる西岩親方(元関脇・若の里)は「取組を終えて苦しい顔で花道を歩いてくる力士がいるけど、支度部屋に戻るまでが相撲。(テレビ中継のない)支度部屋までグッとこらえて、それから感情を出せばいい」と語っていたことがある。喜怒哀楽を抑え、勝っておごらず負けて腐らずが土俵の美。日本人がイメージする力士像を体現したのが稀勢の里だった。

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