全く笑わない男が時おり見せたあの笑顔…担当記者が見た稀勢の里

スポーツ報知
重機の操縦席に乗り、笑顔の稀勢の里(14年4月)

 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。稀勢の里の引退に際して、担当記者が「見た」で振り返った。

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 稀勢の里に初めて会ったのは、相撲担当になった2016年初場所前だった。先輩に連れられ、部屋で当時の大関にあいさつをした。名刺を渡そうとしたが「大丈夫」と言って、受け取ってもらえなかった。これが“顔”が物を言う角界か、と頭を殴られたようだった。勝負の場では多くを語らず、取組後は最低限のことしか話さない。感情の起伏を表に出さない古風な力士像そのものだった。

 土俵を離れれば、プロレスをこよなく愛する。初優勝した17年初場所の前に突然、「(新日本の)ケニー・オメガの必殺技は?」と質問してきた。うろたえる私に「あーあ、答えられたら好きになったのに」と笑っていた。後日、「必殺技覚えてきました」と“再戦”を申し出た。まだ覚えていたのか、と言わんばかりに驚いた表情で「どんな技?」と聞かれたので、ドヤ顔で「片翼の天使」と力強く返答した。すると、支度部屋ではまったく笑わない男が、腕を組んで満足そうに目を細めていた。

 時おり見せるあの笑顔が人間・萩原寛の魅力だった。本当は、人前でもっと笑いたかったのかもしれない。しかし中学卒業後、人生の半分以上を土俵にささげてきた男は、骨の髄まで“稀勢の里”を貫いた。幸いにも2度の優勝、横綱昇進を現場で取材できた。あの無邪気な笑顔と、賜杯を抱いて流した涙は、これからもずっと忘れない。(16~17年相撲担当・秦 雄太郎)

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