【#平成】〈13〉21世紀とともに始まったテロの時代「9・11」変わった平和への意識

2018年8月11日11時0分  スポーツ報知
  • NHKワシントン支局長として米同時多発テロを連日伝えた手嶋龍一さん
  • 米同時多発テロが起きた9月11日の動き
  • 平成13年主な出来事

 天皇陛下の生前退位により来年4月30日で30年の歴史を終え、残り1年となった「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時を振り返る連載「♯(ハッシュタグ)平成」を掲載する。第13回は平成13年(2001年)。

 21世紀に入って半年あまりが過ぎた平成13年9月11日、海の向こうから衝撃的な映像が飛び込んで来た。米ニューヨークの世界貿易センタービルや、ワシントンの米国防総省本庁舎「ペンタゴン」に旅客機を衝突させる「米同時多発テロ」が発生した。犯行を「アルカイダによるテロ」と断定したブッシュ大統領(当時)はその後、報復戦争へ突き進む。当時NHKのワシントン支局長として、11日間にわたり24時間生放送した外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一さん(69)が前代未聞のテロを振り返った。(高柳 哲人)

 手嶋さんが第一報を聞いたのは、ワシントン支局に向かう車の中だった。「詳細も分からなかったので、正直、人ごとでした。ニューヨークにも支局はありましたし。もちろん、『バックアップをしないといけない』という気持ちはありましたが」

 だが、支局に到着してすぐ、ブッシュ大統領が訪問先のフロリダの小学校で緊急会見を開いた。「事故ではなく事件だ、ということが分かりました」。声明が書かれた紙をわしづかみにし、スタジオに駆け込もうとした手嶋さんの目に、ポトマック川を挟んだ先にある米国防総省の建物から煙が上がるのが入った。「(ワシントン)D.C.がやられた…」。飛行機事故と思っていた出来事が「同時多発テロ」だと確信した瞬間。その時から、異例の11日間にわたる24時間生中継が始まった。

 当初から正確かつ詳細な中継ができたのは、「縁」もあった。手嶋さんはワシントン支局長とはいえ、常に支局のデスクに座っているわけではなく、米国内を飛び回っていた。だが、この時期は例年、日本屈指の競走馬生産牧場であるノーザンファーム代表の吉田勝己氏をワシントン郊外の自宅に招待するのが恒例となっていた。「あの時もケンタッキーのセリに行くという勝己さんを前日に送り出して、私はたまった仕事をやろうと思い、いつもより1時間以上早く自宅を出ていたんです」。最初の衝突から間もなくして支局に到着したことで、初動から素早い対応ができた。

 9月11日の夕方、ホワイトハウスに戻って来た時のブッシュ氏の様子は、昨日のことのように覚えているという。「ホワイトハウスの中庭で他の記者と一緒に待ち構えていると、雲一つない夕暮れの中、『マリーンワン』(大統領専用ヘリコプター)に乗って戻って来た。降り立ったブッシュ氏に、ヘレン・トーマスさん【注】が『ミスター・プレジデント』と声をかけたんです」

 その時、通常であれば黙って通り過ぎるブッシュ氏が立ち止まり「アメリカを攻撃したテロリストの背後にいる組織、アルカイダを抱え込んでいる『ならず者国家』を許さない」と話した。「そうしたら、大統領補佐官がブッシュ氏の腕をわしづかみにして、その場から連れ去りました」。周囲が止める間もなく、首謀者を断定的に話した姿から、テロへの怒りが伝わって来た。

 11日間にわたる中継は日米の関連各所から行われたが、その“中枢”はワシントン。昼夜関係なくNHKの画面に登場する手嶋さんを、日本の視聴者はいつの間にか「テッシー」と呼ぶようになり「いつ寝ているんだ?」と心配する声も上がった。「日本が『テッシーブーム』になっていたことには全く興味はなかった」そうだが、視聴者が思うほど「寝る間も惜しんで」という状況ではなかったという。

 「私自身は、他のスタッフよりも大変なのは仕方ないとは思っていましたが、きちんと休まなければいい仕事はできない。きつい仕事は一日だったら興奮していることもあって頑張れますが、それが続くと無理。長期戦になることは分かっていたので、そこは気をつけました」。支局近くにホテルの部屋を確保し、交代で睡眠を取ることで乗り切った。それだけに、2011年の東日本大震災で報道陣が地面に横になっている姿が映し出されたのを見て「あれではいい仕事ができないよ」と感じたという。

 犯人を含めて2996人の死者を出した史上最大規模のテロ事件。海外での出来事ではあったが、手嶋さんは後の日本人の精神や社会にも大きな影響を与えたとみている。「『テロの時代』ということが世の中で当たり前のように言われるようになり、『テロは政情不安な国で起こるもの』という発想がなくなりました。分かりやすい例でいえば、飛行機に搭乗する前の検査が極端に厳しくなったことも挙げられるでしょう」。2011年9月11日、その日を境目として世の中の“風景”は変わった。

 【注】米国の女性ジャーナリスト。1961年にUPI通信社の“ホワイトハウス番”となり、ケネディ大統領時代から半世紀以上にわたり取材を続けた。記者会見では最初に質問するのが慣例となっていたが、2000年に同社を退社してフリーに。13年に92歳で死去。

 ◆長時間生中継は「運」も

 現地からの長時間にわたる生中継が実現したのには、最新設備が直前に完成していたという「運」もあったという。

 「事件の1週間ほど前から、日米をつなぐ光ファイバーの海底ケーブルが使えるようになり、大容量の映像が自由に送れるようになっていたんです」。以前の中継は他局に先んじて衛星回線を確保しなければならず、それが「最大任務」とされていたが、その手間がなくなった。鮮明な映像を時差なく送信することができたことで、日本にもリアリティーが伝わったとみている。

 ただ、便利になったことは“もろ刃の剣”でもあった。ケーブルはワシントンからニューヨークのマンハッタンを経由していたが「連続中継でマンハッタンの発電機の電源が落ちそうになりました。補充はしたいけれど、テロの騒動で発電機に近づけない。最後はガソリンタンクを背負って立ち入り禁止区域に無理やり入ろうとも思っていました」。結局、交渉で燃料の補充ができたが、手嶋さんは「今でこそ笑い話ですが…」と当時を懐かしんでいた。

 ◆米同時多発テロ 2001年9月11日午前、米ニューヨークなどで同時に4機の旅客機がハイジャックされ、うち2機がマンハッタンの世界貿易センタービル(WTC)、1機が米国防総省に衝突。1機がペンシルベニア州に墜落した。WTCでは2192人の市民と343人の消防士、71人の警察官が犠牲となり、米国防総省での125人、4機の乗客乗員計265人(うち19人はハイジャック犯)を合わせると死者は2996人。米政府はウサマ・ビンラディン率いる国際テロ組織「アルカイダ」の犯行と認定し、同年10月からアフガニスタンに侵攻。11年5月に米特殊部隊がパキスタンに潜伏中のビンラディンを射殺した。

 ◆手嶋 龍一(てしま・りゅういち)1949年7月21日、北海道芦別町(現芦別市)生まれ。69歳。慶大卒業後の74年にNHKに入局。87年にワシントン支局に赴任しホワイトハウス担当。自民党、外務省担当、ドイツ・ボン支局長を経て97年からワシントン支局長。2005年にNHKを退局し独立。06年に出版した「ウルトラ・ダラー」がベストセラーとなる。現在は立命館大学客員教授、クラブ法人馬主「キャロットクラブ」の会長を務める。

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