【#平成】〈17〉空前の盛り上がり「小泉劇場」武部氏も想定外

天皇陛下の生前退位により来年4月30日で30年の歴史を終え、残り1年となった「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時を振り返る連載「♯(ハッシュタグ)平成」を掲載する。第17回は平成17年(2005年)。
「小泉劇場」「刺客」「小泉チルドレン」―。平成17年の衆院選、通称「郵政選挙」は、国民を巻き込んだ空前の盛り上がりを見せ、幾多の流行語を生みだした。参院での郵政民営化関連法案否決、小泉純一郎首相による衆院解散、自民造反組への冷徹な仕打ち…。「与党VS野党」でなく「自民VS自民抵抗勢力」の希有な戦いとなった選挙戦の舞台裏に迫った。(樋口 智城)
「郵政民営化に賛成なのか反対なのか、国民に問いたい」。2005年8月8日、小泉首相は参院本会議で郵政民営化関連法案が否決されると、その夜に首相官邸で会見し、身ぶり手ぶりを交えた演説で衆院解散総選挙を宣言した。自民党内で民営化に反対する、いわゆる「造反議員」が大量に出た中での決断。小泉氏は「選挙では郵政民営化に賛成する候補者しか公認しない」と主張し、党内反対派の徹底排除も断言した。
自民は03年の衆院選、04年の参院選で野党・民主党の躍進を許したばかり。分裂選挙は不利な条件しかなく、実際に党の独自調査では「自民惨敗」という結果も出ていた。それでも解散を強行する首相。議員も国民も誰もが驚いた。
当時の党幹事長で、小泉首相の「偉大なるイエスマン」を自称していた武部勤氏(77)は「小泉さんからは何も聞かされてなかったが、選挙用ポスターを作成するなど準備はしていた」と打ち明ける。それでも急すぎる解散のため、事前に計画できない2つの問題点にも直面していた。
1つ目は「公認しないと決めた亀井静香氏、野田聖子氏ら37人の造反議員の選挙区に誰を代わりに立てるのか」。2つ目は「造反が出たことで足りなくなった候補者をどう探すのか」。
対抗馬については、天の配剤とも言える偶然が味方した。実は小泉氏、もともと次の選挙で「女性議員を増やす」方針を決めていた。具体的には、全国11ブロックの比例代表で高い順位に女性候補を並べ、選挙区で負けても比例復活できるような仕組み。武部氏は、この基本理念を利用できないかと考えた。「小泉さんには『狼に熊をぶつけちゃ逆効果。羊で対抗しましょう』と提案した。比例で当選できる女性を、造反組にぶつければ話題になると踏んだんです」
候補者の「弾不足」も喫緊の課題だった。苦肉の策で採用されたのが、一般公募で候補者を募ること。幹事長代理の安倍晋三氏(現首相)の提案だった。不安感が漂う中でいざ公募を始めると、3日間で800人もの応募者が殺到。武部氏は「こんなに希望者があふれるとは思っていなかった。この時点で大勝利を確信しましたよ」と話す。
「女性候補」と「一般公募」は、大きな話題を呼んだ。ある日、造反組の亀井氏が「刺客を放って党内で相打ちして、民主党を当選させていいのか!」と激怒。キャッチーな「刺客」の言葉が逆にマスコミに大きく取り上げられ、瞬く間に流行語となった。武部氏は即座に反応。刺客候補や女性候補を毎日1人ずつ発表する策に打って出た。「出せばマスコミに取り上げられるんだからね。造反候補にとっては心臓が止まる思いだったでしょう」
連日“公演”され続ける小泉劇場。ブームの風に乗った時点で決着はついた。9月11日の投開票。結果は過半数を大きく超える296議席を獲得。公明党と合わせた与党全体で327議席と、総定数の3分の2を超す圧勝となった。埋没した民主党は公示前よりも64議席減らして113議席。比例南関東ブロック35位とほぼ末席にいた杉村太蔵氏ですら当選、83人の「小泉チルドレン」を生み出した。
郵政選挙以後、選挙の様子も変化した。09年衆院選での民主党の圧勝と政権奪取。12年衆院選での自民政権奪回以来の自民無双状態。劇場型選挙が頻発し、その都度「小沢チルドレン」「安倍チルドレン」など大量の新人議員が登場した。
武部氏は「これは郵政選挙の影響というより、96年の衆院選から始まった(少数派の意見が国政に反映されない)小選挙区制のせいだと思いますよ」と主張。ちなみに小泉氏は今も昔も小選挙区制には猛反対という。毛嫌いしていた張本人が、史上最も小選挙区制を利用したという皮肉な選挙だった。
◆野田聖子氏は逆風MAX
刺客を送られる「造反組」は状況をどう感じていたのか。岐阜1区で「一般公募」かつ「女性候補」となった刺客・佐藤ゆかり氏と対決した野田聖子氏(現総務相、57)は「覚悟はしてたんですが、女性同士戦わせるのは『男性の高みの見物』感があって不愉快でしたね」と振り返る。
当時の逆風はすさまじかった。「解散前とか、事務所のFAXには『小泉さんをいじめるなって』って内容のものがずーっと流れる。とうとう機械が壊れちゃった」。道を歩くだけで通行人から舌打ち。「この国のテンション、MAX行くとこうなるんだと…」
自民党から公認されず、組織の支持基盤を失って無所属で臨んだ選挙。結果は佐藤氏に1万5000票以上の差をつけての圧勝だった。「私の過去8回の選挙で、得票数は上から2番目。皮肉な大勝ですよね。自民党員じゃないけど野田が好き、という人の熱がすごかった」
投開票から2か月。野田氏は、もともとは盟友だった小泉首相に誘われ、他の議員らとともに伊豆・修善寺へ旅行した。小泉氏から「君には悪いコトしたなあ」と謝られながら、内部事情も聞かされたという。「郵政民営化は、中身や政策の問題ではない。要は政局。旧田中派1強だった自民党を変えるためだったんだ」―。小泉さんが師と慕う福田赳夫元首相は、かつて田中角栄元首相といわゆる「角福戦争」で政争を繰り広げた因縁がある。郵便局員票は、旧田中派の支持基盤。つまりは「権力闘争」だった。
当時「初の女性総理候補」とも言われた野田氏は、この騒動で一時離党を強いられ、回り道を余儀なくされた。「小泉さんの話を聞いた時、私も逆にさばさばしちゃって。私は『政局女』にはなれないなぁ』とも思いましたね」。その野田氏は先月31日、間もなく告示される総裁選への出馬断念を正式に表明した。
◆直接対決は14勝15敗
自民の造反組37人のうち、選挙戦前後に4人が小選挙区での立候補を辞退。残る33の選挙区で行われた対決は、小池百合子氏ら郵政民営化賛成の与党刺客候補が14勝。造反組は15勝、共倒れによる民主勝利が4という結果だった。
ただし、敗れた刺客候補は12人が比例復活で当選。一方、小選挙区で落選した造反組18人のうち国民新党など他党の比例で復活当選したのは2人だけだった。また、議員バッジを失った造反組16人のうち、後に国政復帰を果たしたのは12人(うち6人が自民に復党)。八代英太氏ら4人は国政の場から姿を消した。